野宮神社 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○2022年12月1日に、京都嵐山を訪れ、野宮神社へ参拝して来た。野宮神社のホームページが案内する野宮神社の由来は、次の通り。

      野宮神社の由来

      伊勢斎宮・源氏物語旧跡

 野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。
 嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。
 野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。
 そのため後奈良天皇、中御門天皇などから大覚寺宮に綸旨が下され当社の保護に努められ、皇室からの御崇敬はまことに篤いものがありました。

 黒木鳥居と小柴垣は平安の風情を現在に伝え、源氏物語、謡曲野宮でも有名な当社は、嵯峨野巡りの起点として多くの方が訪れられます。えんむすびの神様、子宝安産の神様として全国から崇敬を集めています。

 

○ウィキペディアフリー百科事典が案内する野宮神社は、次の通り。

      野宮神社

野宮神社(ののみやじんじゃ)は、京都市右京区嵯峨野にある神社。旧社格は村社、現在は神社本教の被包括法人となっている。

天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王伊勢に赴く前に身を清める場所であり、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた清浄の地を選んで建てられた。その様子は源氏物語賢木の巻」にも描かれている。学問・恋愛成就・子宝安産等の祭神を祀り、地域住民からの崇敬はもとより、観光ルートの便から他府県または海外からも多くの参拝者が訪れる。

 

 

○もともと、小さな社だったが、現在は、多くの観光客で賑わっている。境内には、「境内のご案内」と言う立て札があって、

  学問の神:野宮大神

  えんむすびの神:野宮大黒天

  子授・安産の神:白福稲荷

  財運・芸能の神:白峰弁財天

が掲げられていた。これなら、何でも願い事は可能な気がする。

○とにかく人が多い。何処よりも賑わっている気がした。何より立地条件が最高なのだろう。まさに観光地そのものだった。