◯ここまで、ブログ『嵐山:渡月橋』から『天龍寺』、『竹林の小径』、『野宮神社』と続けている。こうなると、そろそろ、『嵯峨野』を書くしかない。
◯インターネットで『嵯峨野』で検索したところ、次のページがヒットした。
嵯峨野・嵐山エリアガイド
平安時代の貴族たちにも好まれた風光明媚な嵐山は、シンボルともいえる渡月橋周辺に、由緒あるお寺や神社が点在します。世界遺産・天龍寺の回遊式庭園は、春夏秋冬それぞれ美しい表情を見せてくれる日本初の史跡・特別名勝。大堰川で舟遊びを楽しむもよし、竹林の小径をそぞろ歩いて嵯峨野の古刹巡りをするもよし。近年開館した福田美術館やリニューアルオープンした嵯峨嵐山文華館など新名所にも注目が集まり、季節が変わるたび何度でも訪れたくなるエリアです。
このエリアのみどころ
旧嵯峨御所 大本山 大覚寺(きゅうさがごしょ だいほんざん だいかくじ)
西芳寺[苔寺](さいほうじ[こけでら])
常寂光寺(じょうじゃっこうじ)
天龍寺(てんりゅうじ)
嵐山・渡月橋(あらしやま・とげつきょう)
◯この説明は、あくまで「嵯峨野・嵐山エリアガイド」だから、こういう説明になる。そのうち、嵯峨野に該当するのは、大覚寺と常寂光寺、天龍寺、渡月橋までである。「おすすめスポット」には、
竹林の小径
二尊院
祇王寺
などを案内している。
◯別に、ウィキペディアフリー百科事典が案内する嵯峨野は、次の通り。
嵯峨野
嵯峨野(さがの)は、京都府京都市右京区の地名。太秦・宇多野の西、桂川の北、小倉山の東、愛宕山麓の南に囲まれた付近に広がる広い地域の名称で、単に「嵯峨(さが)」と呼称される事もある。ただし、観光地としての「嵯峨(野)」は嵐山から小倉山に沿った社寺の立ち並ぶ地域(概ね車折神社より西側)を指す。平安京の西方の郊外になることから別名、西郊と公家達はよんだ。
古来、太秦を根拠としていた豪族の秦氏によって開発が進められたとされている。平安遷都後には、風光明媚なため、天皇や大宮人たちの絶好の遊猟、行楽地だった。嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営して居住し、その崩御後に外孫の恒寂入道親王(仁明天皇廃太子の恒貞親王)がこれを大覚寺として改めた。882年(元慶6年)に嵯峨野は「禁野」とされ、以後貴族・文人などによる山荘・寺院建立が相次ぐ事になる。藤原定家がこの地に小倉山荘を造営してここで小倉百人一首を撰んだと伝えられ、時雨亭跡とされる遺跡が厭離庵、二尊院および常寂光寺に残っている。
◯もともと嵯峨野は閑静な土地だった。それが今では行列ができるほどの賑わいを見せている。ゆっくり歩くのに、ちょうど良い距離感なのだろう。狭いところに、見所が満載なのだから、出掛ける人が多い。それに、自然と文化が見事に融合している。それが嵯峨野である。