天龍寺 | 古代文化研究所:第2室

古代文化研究所:第2室

ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○京都嵯峨野をぐるりと巻いて通っているのが、京都府道29号線になる。ウィキペディアフリー百科事典には、次のように案内する。

      京都府道29号線

京都府道29号宇多野嵐山山田線(きょうとふどう29ごう うたのあらしやまやまだせん)は、京都府京都市右京区宇多野から京都市西京区嵐山を経て京都市西京区山田に至る主要地方道京都府道)である。1994年3月までは宇多野嵐山樫原(かたぎはら)線だった。

 

○つまり、宇多野から嵐山を周回して、桂川左岸を松尾大社まで下り、松尾大社から桂川右岸を桂五条まで、一本で結ぶ府道が京都府道29号線だと言うことになる。その京都府道29号線の嵐山バス停で、京都駅からのバスを下車して、嵯峨野を目指した。

○まず、渡月橋前で右折して、北上すれば、200mで嵐電の嵐山駅に出る。そこからさらに100m進むと、もう天龍寺である。天龍寺は大寺である。途方もなく境内が広大である。取り敢えず、最初にお参りすることとした。

○天龍寺のホームページは、次のように案内する。

      天龍寺について

      天龍寺の沿革

   天龍寺は京都屈指の観光地嵯峨嵐山、に建つ 臨済宗の禅刹。

   名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては

  境内地であった。
   この地はその昔、檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創

  した禅寺・檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御

  所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。

  【天龍寺の歴史】

  創建と興隆

   その地に足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、

  その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。

   造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、

  直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、

  その利益を造営費用に充てることを計画した。これが「天龍寺船」の始まり。

   造営費の捻出に成功した天龍寺は康永4年(1345)に落慶した。南禅寺を

  五山の上として天龍寺を五山の第一位に、この位置づけは以後長く続いた。

 

○別に、ウィキペディアフリー百科事典には、次のように載せる。

天龍寺(てんりゅうじ)は、京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町にある臨済宗天龍寺派大本山寺院山号は霊亀山(れいぎざん)。本尊釈迦三尊。正式には霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)と号する。開基(創立者)は足利尊氏開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家後醍醐天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録されている。

○京都五山の筆頭が天龍寺とされる。ちなみに、京都五山とは、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺を言う。