清水寺 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○2022年12月1日に、京都東山の清水寺にお参りして来た。10回までは無いと思うが、結構、清水寺には、何度もお参りしている。朝一番に、お参りした。

○清水寺のホームページでは、次のように案内している。

      清水寺の歴史

音羽山清水寺の開創は778年。現代から遡ること約1250年前です。大きな慈悲を象徴する観音さまの霊場として、古くから庶民に開かれ幅広い層から親しまれてきました。古い史書や文学のなかには、多くの人々が清水寺参詣を楽しむ様子が描かれています。
京都の東、音羽山の中腹に広がる13万平方メートルの境内には、国宝と重要文化財を含む30以上の堂塔伽藍が建ち並びます。創建以来、10度を超える大火災にあいそのたびに堂塔を焼失しましたが、篤い信仰によって何度も再建されました。現在の伽藍はそのほとんどが1633年に再建されたものです。1994年にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。

○ウィキペディアフリー百科事典が案内する清水寺は、次の通り。

      清水寺

清水寺(きよみずでら、英: Kiyomizu-dera Temple)は、京都市東山区清水にある北法相宗の大本山の寺院。山号は音羽山。本尊は十一面千手観世音菩薩。正式には音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)と号する。もとは法相宗に属していたが、現在は独立して北法相宗を名乗る。西国三十三所第16番札所。洛陽三十三所観音霊場第10から14番札所。境内(敷地面積)は約13万平方メートル。

清水寺は法相宗(南都六宗の1つ)系の寺院で、広隆寺鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺滋賀県大津市)、長谷寺奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場である。鹿苑寺(金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地として有名であり、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。また、修学旅行で多くの学生が訪れる。古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている。

清水寺の宗旨は、当初は法相宗で、平安時代中期からは真言宗を兼宗していた。明治時代初期に一時真言宗醍醐派に属するが、1885年(明治18年)に法相宗に復す。1965年昭和40年)に住職であった大西良慶が北法相宗を立宗して法相宗から独立した。

○朝が早いので、いつもは賑やかな境内も人が少ない。お陰で、ゆっくりと心静かにお参りすることができた。これが昼間だったら、人を見に行くような賑わいになる。とにかく、京都のお寺は人が多い。特に、清水寺と金閣寺、嵐山の人混みにはいつも驚かされる。

○仁王門から本堂まで、一通り、歩いて来た。12月と言うのに、まだ紅葉が美しかった。やはり、京都は秋が一番と言う人の話がもっともであると感じた。

○清水寺は、観音信仰で知られる。ここを訪れる人のどれくらいが観音信仰をご存知なのだろうか。そんなことを思った。日本では観音信仰の歴史は古い。と言うか、日本へ最初に伝来した仏教が弁才天信仰であり、観音信仰だったのではないか。そんな気がする。

○当古代文化研究所では、そういう研究をしている。日本の観音信仰を遡ると、大峰山へ到達する。さらに遡ると、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島へ達する。さらに吐噶喇列島を経由して、中国浙江省舟山群島の普陀山に行き着く。中国では、普陀山は中国四大仏教名山の一つで、中国観音信仰の聖地とされている。当古代文化研究所では、これまで、普陀山へ6回お参りしている。

○そういう日本で最も古い信仰形態がここには残されている。ただ、現在の清水寺へお参りしたところで、そういう宗教観は皆無である。もともと、ここは信仰の聖地なのである。抹香臭さが完全に抜け落ちてしまっている気がしてならない。