清水寺詣で | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○最初の旅は、2022年2月1日から4日に掛けて、題して『京都ぶらり旅』』とした。二回目の旅が、2022年10月30日から11月2日に掛けての『仁和寺にある法師』旅だった。そして、三回目の旅が、2022年11月28日から12月1日に掛けての『貫之墓と芭蕉墓参詣旅』だった。

○その『貫之墓と芭蕉墓参詣旅』を書き始めたのが2023年10月10日の、ブログ『貫之墓と芭蕉墓参詣旅』で、昨日、2024年1月11日のブログ『木曽の情雪や生ぬく春の草』までで、合計、88個ものブログをものしている。それでもまだ『貫之墓と芭蕉墓参詣旅』は終了していない。

○『貫之墓と芭蕉墓参詣旅』初日は宮崎から京都に来るだけだった。二日目は奈良へ出掛け、東大寺から薬師寺、唐招提寺などにお参りした。三日目は比叡山へ登り、紀貫之の墓参りと日吉大社、義仲寺へ詣でた。

○最終日の四日目は、朝6時前に起きて、そのまま清水寺へ参拝することとした。京都は観光名所が多い。なかでも、清水寺や金閣寺、渡月橋などは大勢の観光客が押し寄せ、その混雑は尋常では無い。観光に行くと言うよりも、観光客を見に行く感じとなっている。

○それで、朝起きて、一番に清水寺へお参りすることとした。清水寺参詣を済ませてから朝食をいただこうと言うわけである。ホテルを6時過ぎに出て、6時30分には、もうバス停で、清水寺行きのバスを待っていた。

○京都駅烏丸口のバス乗り場、D2乗り場から206系統のバスに乗れば、12分で五条坂バス停に着く。私が乗ったのは、たぶん、6時32分のバスだったから、6時44分には五条坂バス停に着いていた。そこから650m、10分ほどで、清水寺である。

○朝が早いから、お客さんも少ない。5、6番目に並んで、バスに乗車できた。乗った客の殆どが五条坂バス停で下車した。行き先もみんな一緒である。若者がどんどん先を行くので、年寄りは、その後を付いて行くだけである。お陰で、道に迷う心配も無い。

○途中、道が二股に分かれているところがあった。そこには「茶わん坂」の石碑と、「右、清水ちかみち」とあったので、躊躇なく、右の道を選んだ。そこを進むと、『茶わん坂由来』があった。

      茶わん坂由来

   清水一帯に開窯を見るに至ったのは伝へによると

  聖武天皇(七三四〜七四三)の頃、僧行基によって

  清閑寺村茶碗坂で製陶されたのが初めてといわれて

  いる。

   あるいは慶長年間(徳川家光の頃)茶碗屋久兵衛

  が、五条坂一円で金・赤。青を彩色した陶器を作り、

  これに清水焼の名を冠したのが始まりと言われている。

   その由緒ある名を頂き茶わん坂と名付けた。

            茶わん坂繁栄会

○この茶わん坂を登ると、もう清水寺である。