木曽の情雪や生ぬく春の草 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○2022年11月30日に、比叡山裳立山の紀貫之公墳にお参りして来た。帰り道、日吉神社と義仲寺にもお参りし、芭蕉の墓参りも済ませて来た。この日のブログを長々と書き綴って来た。確認すると、ブログ『JR湖西線で坂本へ行く』を2023年11月22日に書き、12月8日のブログ『裳立山から坂本へ』までで、17個のブログを書いている。

○その後、12月9日に、ブログ『日吉東照宮』から12月24日のブログ『日吉大社参拝記』まで、16個のブログを書き、12月25日のブログ『穴太衆積みの石垣』から昨日、2024年1月10日のブログ『琵琶湖』までで、すでに15個のブログをものしている。

○つまり、2022年11月22日一日のことを、すでに48個ものブログを書いていることになる。いくら何でも、もう止めないと、全然、先に進むことができない。すでに年も改まり新年を迎えている。何時までも2022年の話を書くこともできない。

○義仲寺の最後に、芭蕉の句、『木曽の情雪や生ぬく春の草』で終えたい。この『木曽の情雪や生ぬく春の草』の句碑が膳所駅の前に建っていた。前に、ブログ『義仲寺:義仲公墓(木曽塚)』で、この句自体はすでに案内済みである。

      義仲寺:義仲公墓(木曽塚)

  土壇の上に宝篋印塔をすえる。芭蕉翁は木曽塚ととなえた。

  義仲公の忌日「義仲忌」は、毎年一月の第三土曜日に営む。

      燧山(元禄二年)

    義仲の寝覚の山か月悲し  芭蕉

      無名庵にての作(元禄四年)

    木曽の情雪や生ぬく春の草  芭蕉

○ここに載せる『義仲の寝覚の山か月悲し』句は、元禄二年八月十四日、「おくのほそ道」の道中に、義仲の故地、燧山で芭蕉が詠んだ句とされる。

○また、『木曽の情雪や生ぬく春の草』句は、岩波古典体系本頭注に、

  「芭蕉翁句集」には元禄五年。

と載せる。さらに、この句に続けて、

  と申されける言の葉のむなしからずして、かの塚に塚を並べて、

  風雅を比恵・日良(比叡・比良)の雪に残したまひぬ。

と言う「小文庫」の史邦序を紹介している。

○道士、芭蕉が、この地に終の棲み家を求めたのには、十分な理由根拠があってのことと言うしかない。「小文庫」の史邦序も、実はそのことを指摘しているように思えてならない。このことについては、少し時間を掛けて、詳しく述べることとしたい。