○義仲寺には、狭い敷地に併せて十九の句碑と二つの歌碑が建っている。そのうち芭蕉の句碑は三つしか無い。芭蕉以外の十六の句碑のうち、気になった句碑を一つ紹介したい。それが 紫金の「時雨れても道や曇らず月の影」句である。
○寡聞にして、紫金がどういう俳人であるかを知らない。ただ、旧東海道脇にある義仲寺の門前にある句碑であから、義仲寺の句碑の中でも、特別な句碑なのであろう。
○インターネットで俳人紫金を検索したら、当古代文化研究所の次のブログが出て来て驚いた。
・テーマ「義仲寺と幻住庵」:ブログ『蝶夢・紫金・方堂の句碑』
○そのブログでは、次のように書いている。
時雨れても道や曇らず月の影 紫金
☆この句碑は、義仲寺山門脇に建っている。如何にも寺の山門にふさわ
しい句。俳諧に詳しくないので、作者である俳人紫金がどういう人であ
るかについて、何も知らない。句からうかがえる作者は、おそらく、お
坊さんではないか。俳号紫金も、仏身の美しさの形容を意味する紫磨金
からきているのであろう。
●句もお坊さんらしく、仏道を諭す内容となっている。いくら娑婆世間
が時雨れることがあっても、仏の道は曇ることはないと言うのであろう。
その証拠に夜になれば、仏のみ教えの月の光がこの世をあまねく照らし
てくれると。佳い句であるが、線香臭さが気になる。悟っていては俳諧
にならない。
○散々に書いているが、今読み返すと、なかなか良い句で、お寺に、如何にも相応しい句である。ただ、此処は芭蕉の終の棲み家なのである。尋常の句作では相手にもされない。やはり、素人の句とするしかない。
○もっとも、俳諧の三要素は、
挨拶
切れ字
季語
だとされる。なかでも、特に、挨拶は大事である。そういう意味では、この句の「時雨ても」の冠は、なかなか佳い。芭蕉の命日は、旧暦十月十二日で、時雨忌とされるのだから。