無動寺:明王堂 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○今日は、2023年11月30日である。今書いている「貫之墓と芭蕉墓参詣旅」の旅行で比叡山を訪れたのは、2022年11月30日のことだから、ちょうど一年前の話になる。一年後にブログを書くなんて、何とも情けないことである。それだけ書くことが多過ぎて困っている。

○ただ、目的を持って、折角、出掛けて来たところである。それをいい加減なままに済ますこともできない。それで、このような状況に立ち至っている。毎日、せっせと二つもブログを書き続けてもなかなか終わらない。とにかく、書くこと、考えることを持続するしかない。

○無動寺坂を下る話も、ブログ『比叡山:無動寺道』、『無動寺:辨才天への参詣道』、『無動寺:弁天堂』、『無動寺:建立大師相応』と書いて、今回の『無動寺:明王堂』が五つ目になる。これではなかなか終わらないはずである。しかし、必要なことを書かないわけにもいかない。

○ある意味、『比叡山:無動寺道』そのものがそういうところなのである。無動寺道を歩くと、比叡山の東塔や西塔、横川同様、無動寺も比叡山を代表する聖地そのものであることが判る。東塔や西塔、横川に匹敵するものが、間違いなく、無動寺道には存在する。

○比叡山と言えば、延暦寺であり、根本中堂である。多くの人は、その根本中堂へお参りして、比叡山へお参りしたと勘違いし、満足して、山を下りて行く。しかし、それは比叡山の、極極、些少な部分に過ぎない。そういうことを理解するのに、随分と時間を要したことになる。

○ちなみに、ウィキペディアフリー百科事典が案内する無動寺 (大津市)は、次の通り。

      無動寺 (大津市)

無動寺(むどうじ)は、滋賀県大津市にある天台宗寺院比叡山にある総本山延暦寺東塔無動寺谷の塔頭山号は比叡山。本尊不動明王。正式には無動寺明王堂といい、延暦寺五大堂の一つで千日回峰行の拠点である。無動寺は東塔の一谷ではあるが別格で「南山」と呼ばれている。

無動寺谷には明王堂の他にも大乗院、法曼院、弁天堂などがある。

平安時代前期の貞観7年(865年)に、延暦寺の僧で千日回峰行の始祖として知られている相応和尚(建立大師)によって創建された。

元慶6年(882年)に陽成天皇の勅により無動寺は天台別院(天台南岳別院)となっている。

院政期に住持になった寛慶がその地位を高めて東塔から自立すると、無動寺は東塔・西塔・横川に匹敵する発言力を持つようになった。寛慶は当時の天台座主仁豪の座主への権力集中に反対する勢力の中心となり、永久の強訴の際には清水寺破却に対する仁豪の責任を追及して延暦寺内で内紛を起こしている。後に寛慶は天台座主に補された。

 

○別に、次のページも参考になる。

      近畿三十六不動尊霊場会

      第26番 無動寺 明王堂  

   詣で来る 人のねがひの 満ち足れと ただひとすじ耳 祈る明け今れ

      家田荘子コラム 二十六番 無動寺明王堂

 無動寺明王堂は、相應和尚が創建した回峯行の根本道場です。回峯行とは、比叡山中にあるお寺や霊石、霊水、あらゆるものに祈りを捧げ、1日30キロの道のりを歩く大変厳しい修行です。千日回峰行は、7年もの月日をかけます。無動寺明王堂の不動明王様に仕える僧侶は、千日回峯行を満行した大阿闍梨か、回峯行中の阿闍梨が勤め、「輪番」と呼ばれています。が創建した回峯行の根本道場です。回峯行とは、比叡山中にあるお寺や霊石、霊水、あらゆるものに祈りを捧げ、1日30キロの道のりを歩く大変厳しい修行です。千日回峰行は、7年もの月日をかけます。無動寺明王堂の不動明王様に仕える僧侶は、千日回峯行を満行した大阿闍梨か、回峯行中の阿闍梨が勤め、「輪番」と呼ばれています。