無動寺谷界隈 | 古代文化研究所:第2室

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ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○ここまで、無動寺について、ブログ『比叡山:無動寺道』、『無動寺:辨才天への参詣道』、『無動寺:弁天堂』、『無動寺:建立大師相応』、『無動寺:明王堂』と書いて来ているが、無動寺谷は何とも奥が深い。

○無動寺については、これまで、あれこれ触れているが、ウィキペディアフリー百科事典が案内する無動寺について、再度、紹介しておきたい。

      無動寺 (大津市)

無動寺(むどうじ)は、滋賀県大津市にある天台宗寺院比叡山にある総本山延暦寺東塔無動寺谷の塔頭山号は比叡山。本尊不動明王。正式には無動寺明王堂といい、延暦寺五大堂の一つで千日回峰行の拠点である。無動寺は東塔の一谷ではあるが別格で「南山」と呼ばれている。

無動寺谷には明王堂の他にも大乗院、法曼院、弁天堂などがある。

平安時代前期の貞観7年(865年)に、延暦寺の僧で千日回峰行の始祖として知られている相応和尚(建立大師)によって創建された。

元慶6年(882年)に陽成天皇の勅により無動寺は天台別院(天台南岳別院)となっている。

院政期に住持になった寛慶がその地位を高めて東塔から自立すると、無動寺は東塔・西塔・横川に匹敵する発言力を持つようになった。寛慶は当時の天台座主仁豪の座主への権力集中に反対する勢力の中心となり、永久の強訴の際には清水寺破却に対する仁豪の責任を追及して延暦寺内で内紛を起こしている。後に寛慶は天台座主に補された。

 

○今回、無動寺谷でお参りしたのは、弁天堂、明王堂、法曼院、護摩堂、大乗院、玉照院などであった。本当は、その一つ一つを丁寧に案内すべきであるが、それではなかなかブログが先に進まない。

○仕方がないので、無動寺については、今回でおしまいとしたい。ここでは、すでに案内している弁天堂と明王堂以外のお堂を案内することにしたい。無動寺は観光客など、皆無の静寂の只中にあった。もともと比叡山とは、そういう神聖なところなのである。

○もっとも、当古代文化研究所にしたところで、敬虔な仏教徒ではあるが、比叡山参詣が目的では無くて、紀貫之墓の墓参が目的で、無動寺谷を訪れている。これ程急がずに、ゆっくりお参りしたいところが無動寺谷である。再度、訪問するしかない。