無動寺:弁天堂 | 古代文化研究所:第2室

古代文化研究所:第2室

ブログ「古代文化研究所」で、書き切れなかったものを書き継いでいます。

○2022年11月1日に、比叡山横川、西塔、東塔にお参りした。その際に、比叡山には比叡山三大弁才天が存在することを知った。それは西塔で、『箕渕辯財天』にお参りして、初めて知ったわけである。

○その時の詳しい様子は、次のブログに書いている。

  ・テーマ「京都奈良大阪を歩く」:ブログ『箕渕辯財天』

 

○ちなみに、比叡山三大弁才天とは、次のものを指す。

  ・東塔:無動寺谷の弁天堂

  ・西塔:箕渕辯財天

  ・横川:箸塚弁財天

○この時、すでに横川には参拝済みだったので、残念ながら、箸塚弁財天にはお参りしていない。また、東塔の無動寺谷の弁天堂が相当遠くに存在することは理解していたので、この時にお参りすることは諦めた。

○これまで、二回、この無動寺道は、坂本ケーブルの延暦寺駅から、途中まで下って行ったことがある。目的は紀貫之の墓参りだった。しかし、行けども行けども、全然、そんな感じが無かった。それで心配になって諦めて引き換えした。

○と言うのも、それ程、時間の余裕が無い時に訪れたのが原因であることは言うまでもない。最初は、確か二十代だった。若かったので、走って行ったら、すぐに着くだろうと、安易に考えていて、失敗した。

○二回目は四十代で、この時も、別の用事があったのに、無理して比叡山までやって来た。どうしても、一回は貫之の墓参りくらいは済ませておきたかった。それで、同じように、延暦寺駅から無動寺道を下って行った。

○ところが、この時は冬で、雪で一面真っ白になっていた。それが凍っていて、滑って、非常に危険な状況だった。それでも、せっかく来たのだから、無理して進んで行ったが、途中で、危険を感じて断念」した。

○したがって、今回が、三回目の挑戦になる。当古代文化研究所もとうとう七十三歳のお爺さんである。今回が最後の挑戦になることだけは間違いない。それで、朝、一番に、覚悟を決めて登って来た。

○その無動寺道は、坂本ケーブルの延暦寺駅脇から下るようになっている。入り口に、『無動寺参道』と大書した石碑が建っていて、『大辯才天女』の扁額が掲げられた鳥居を潜って下って行くことになる。

○前回、『無動寺:辨才天への参詣道』で案内したように、無動寺参道は、そのまま、弁才天への参詣道であるかのような様相を呈している。と言うのも、途中にも、幾つもの鳥居が建っていて、『辨財天』とか『大辯財天』、『辨才天』、『大辯才天女』などの扁額が掲げられている。

○その奥に存在するのが『無動寺:弁天堂』であることは、言うまでも無い。もっとも、無動寺の本堂が弁天堂であるわけでもない。無動寺の本堂は、あくまで、明王堂になる。しかし、無動寺参道に於ける弁才天の存在は、何とも大きい。

○判るように、もともと、比叡山全体に、弁才天信仰は色濃く残っている。それがどうしてなのか。誰も説明、案内してくれない。それがまた、不思議でならない。取り敢えず、ここに、そういうことを記録して残して、詳細は後日に期待するしかない。