無動寺:辨才天への参詣道 | 古代文化研究所:第2室

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○2022年11月30日、紀貫之墓へお参りするのに、坂本ケーブルの延暦寺駅から無動寺坂を下って行った。本当なら、もたて山の道を下るのが早道らしいが、せっかくの参詣である。比叡山の参詣道の一つである無動寺道を利用しようと思った次第である。

○意外なことに、無動寺はウィキペディアフリー百科事典が案内するほど、有名なお寺らしい。

      無動寺(大津市)

無動寺(むどうじ)は、滋賀県大津市にある天台宗寺院比叡山にある総本山延暦寺東塔無動寺谷の塔頭山号は比叡山。本尊不動明王。正式には無動寺明王堂といい、延暦寺五大堂の一つで千日回峰行の拠点である。無動寺は東塔の一谷ではあるが別格で「南山」と呼ばれている。

無動寺谷には明王堂の他にも大乗院、法曼院、弁天堂などがある。

平安時代前期の貞観7年(865年)に、延暦寺の僧で千日回峰行の始祖として知られている相応和尚(建立大師)によって創建された。

元慶6年(882年)に陽成天皇の勅により無動寺は天台別院(天台南岳別院)となっている。

院政期に住持になった寛慶がその地位を高めて東塔から自立すると、無動寺は東塔・西塔・横川に匹敵する発言力を持つようになった。寛慶は当時の天台座主仁豪の座主への権力集中に反対する勢力の中心となり、永久の強訴の際には清水寺破却に対する仁豪の責任を追及して延暦寺内で内紛を起こしている。後に寛慶は天台座主に補された。

寛慶の後を継いだ天台座主行玄は自らの拠点を青蓮院に移す。それがやがて後の「青蓮院門跡」のルーツとなっていく。

 

○坂本ケーブルの延暦寺駅から無動寺坂を下って行くと、多くの鳥居が目に付く。それは『無動寺:辨天堂』まで続いている。無動寺道は、まるで『無動寺:辨天堂』への参詣道であるかのような様相である。しかし、無動寺はあくまで、明王院が本堂である。

○しかし、比叡山で、弁才天信仰が一種独特の信仰形態の一部であることは間違いない。それは比叡山の東塔・西塔・横川の三塔を巡回してみれば判ることである。当古代文化研究所では、そのことを2022年11月1日に、確認している。

○詳しくは、別の機会に述べたい。取り敢えず、今回は、無動寺道がまるで『無動寺:辨天堂』への参詣道であるかのような様相であることを紹介するに止めたい。