○項楚著「寒山詩註」は、寒山詩313作品に続けて、寒山佚詩12編を載せている。それはこれまでに全部訳した。引き続き、項楚著「寒山詩註」は、寒山詩に続けて、拾得詩57首と佚詩6首を載せている。どうせなら、全部を訳し終えたい。それで、拾得詩57首を訳してきた。それも終わったので、今回からは拾得佚詩6首の訳となる。今回は、その第5回で、『井底紅塵生(拾佚5)』になる。
【原文】
井底紅塵生(拾佚5)
井底紅塵生 高山起波浪 石女生石兒 龜毛數寸長
欲覓菩提路 但看此牓様
【書き下し文】
井の底に紅塵を生じ、
高山に波浪の起こる。
石女が石兒を生み、
龜の毛が數寸も長し。
菩提の路を覓めんと欲せば、
但だ、此の牓様を看るべし。
【我が儘勝手な私訳】
井戸の中に土ぼこりが生じることなど無いし、
高い山に白波が押し寄せることも無い。
産まず女が赤子を生むことも考えられないし、
亀に長い毛が生えていることも信じられない。
あなたがもし、本当に解脱を希求するならば、
こういう虚幻不實の有様を理解しなくてはならない。
○拾得佚詩も、今回で第5回となる。佚詩と言うだけあって、種々雑多なものが含まれている。そういう中にあって、今回の『井底紅塵生(拾佚5)』詩は、寒山詩の『井底生紅塵(佚02)』詩と、ほぼ同じ内容となっている。そういう意味では、この作品は寒山詩として判断すべきものではないか。それはこの作品の内容からして、判断する。こういう理屈っぽさは、やはり、寒山特有のものである。こういう悪趣味もまた寒山のものである。拾得詩はもっと素直だし、穏やかである。
○写真は相変わらず、四川省の峨眉山の写真を掲載している。峨眉山は中国四大仏教名山の一つである。当古代文化研究所では、これまで3回峨眉山へ参詣している。三回参詣したうち、二回が雨だった。写真は、その唯一の快晴の日のものである。