拾得佚詩:身貧未是貧(拾佚4) | 古代文化研究所:第2室

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○項楚著「寒山詩註」は、寒山詩313作品に続けて、寒山佚詩12編を載せている。それはこれまでに全部訳した。引き続き、項楚著「寒山詩註」は、寒山詩に続けて、拾得詩57首と佚詩6首を載せている。どうせなら、全部を訳し終えたい。それで、拾得詩57首を訳してきた。それも終わったので、今回からは拾得佚詩6首の訳となる。今回は、その第4回で、『身貧未是貧(拾佚4)』になる。

  【原文】

      身貧未是貧(拾佚4)

    身貧未是貧   神貧始是貧   身貧能守道   名爲貧道人

    神貧無智慧   果受餓鬼身   餓鬼比貧道   不如貧道人

  【書き下し文】

    身貧なれども、未だ是れ貧ならず、

    神貧なれば、始めて是れ貧なり。

    身貧なれども、能く道を守れば、

    名は貧道人と爲る。

    神貧なりて、智慧無ければ、

    果たして餓鬼の身を受けん。

    餓鬼と貧道を比ぶれば、

    貧道人に如かず。

 【我が儘勝手な私訳】

   肉体が貧弱であっても、それはまだ貧弱とは言えない、

   霊魂が貧弱であれば、それで始めて貧弱だと言える。

   肉体が貧弱であっても、道を守り精進すれば、

   その人は、貧弱な僧侶である。

   霊魂が貧弱であって、仏道に励まなければ、

   結果、餓鬼道へ進むしか無い。

   餓鬼道へ進む人と貧弱な僧侶とを比べると、

   まだ、貧弱な僧侶である方がましである。

○拾得佚詩も、今回で第4回となる。佚詩と言うだけあって、種々雑多なものが含まれている。そういう中にあって、今回の『身貧未是貧(拾佚4)』詩は、理路整然とした作品となっている。こういう理屈っぽさは、もともと寒山のものである。

○拾得がそうであったように、拾得佚詩にも、寒山作と拾得作とが混在している。そういう意味では、今回の『身貧未是貧(拾佚4)』詩は、寒山詩に近い。

○写真は相変わらず、四川省の峨眉山の写真を掲載している。峨眉山は中国四大仏教名山の一つである。当古代文化研究所では、これまで3回峨眉山へ参詣している。三回参詣したうち、二回が雨だった。写真は、その唯一の快晴の日のものである。