古宮館    国境の武士団・津金衆の拠点   ~山梨県北杜市~ | 攻城日記/3rd ~城逢人~

攻城日記/3rd ~城逢人~

中世城館・板碑好きのマニアの日々の記録

 

旧須玉町、下津金地区の須玉歴史資料館背後に古宮館は所在します
館跡の中心部は諏訪神社となります

境内には「古宮の城跡」が建てられ西側には堀や土塁が残されています
城、館、屋敷と様々な名称が付けられていますが
参考にした「須玉町史」の名称を採用します


とはいうものの立地条件や現在見られる二重の堀と土塁は
「城郭」と呼ぶに相応しいものかもしれません

中世の展示は少ないのですが隣接する須玉歴史資料館は
とても雰囲気が良く地域の歴史を学ぶのに役立ちます

古宮館は津金衆・津金氏歴代の城といわれますが
その規模は諏訪神社を中心に東西120m、南北210mで
複数の郭の存在していたようで土豪の城館としては
大きすぎると「須玉町史」は指摘しております


甲斐では守護や有力国人層の城館の規模であり
城の所在地の字名「御所」は文亀元年(1501)3月に
武田信虎が碓氷峠から納涼の途中でこの地に逗留したことに
由来するといわれ武田信虎に関連する場所でもあるようです

津金衆が集まる寄居のような場所であったのかもしれません

「天正壬午の乱」において後北条氏が佐久往還に近い
古宮館を改修して若神子~佐久間の繋ぎ城として
使用した可能性もありそうです

 

↓古宮館の地形(電子国土傾斜量図を使用して作図)



参考  須玉町史/ 1巻 通史編
     市内城館跡詳細調査分布報告書/ 北杜市教育委員会
     現地石碑の碑文
     山梨の武田氏伝説/笹本正治
     天正壬午の乱/平山優