JR八高線松久駅西側の木部集落に武蔵七党の猪俣党に
属した木部次郎行兼を祖とする木部氏の館跡といわれます
以前訪れた際は館跡は特定できても遺構が残っていることが
確認できませんでした
「美里町史」に掲載される見取り図をもとに館の西側に
残るとされる土塁を探します
土塁は確かに存在するのですが民家の敷地内で
植え込みが土塁の外側を覆い撮影ができません
予想以上に大きな土塁(長さ10mくらいか)が
残されていることを確認できたので満足であります
木部氏館跡はマニア向けとかそういうレベルではありませんよ
私は埼玉の古城址に掲載される図面を見て興味を持ちました
魅力的に見えたのですが現地を訪れてガッカリでした
館跡敷地内には後北条氏家臣であったとされる家が
二軒存在しているそうです
元亀元年(1570)に年貢負担地であった屋敷を武田信玄の
関東侵攻に対する寄居として利用されたました
※北条氏邦朱印状
古くから存在した土豪の屋敷(木部氏子孫か)に北条氏邦に従う地侍が
集まり武田氏に備えて守りを固めた場所ということでしょう
↓木部氏館の航空写真(電子国土空中写真1974~78を使用して作図)
参考 美里町史/ 通史編
中世城郭の縄張りと空間/ 松岡進
埼玉の古城址/ 中田正光