鴨沢要害  扇谷上杉氏VS伊勢宗瑞   ~神奈川県足柄上郡中井町~ | 攻城日記/3rd ~城逢人~

攻城日記/3rd ~城逢人~

中世城館・板碑好きのマニアの日々の記録

中井町鴨沢から雑色地区にかけて所在する鴨沢要害は
中村川沿いの東西に延びる丘陵に築かれています
城直下を通る雑色トンネルの北側に「←鴨沢城」という標識が
あるので表示に従い細い道を進みます


城の近くまで車で行けなくもありませんが
軽四駆以外の車以外はオススメできません
中村川沿いの鴨沢城石碑がある辺りに車を止めて
徒歩で訪れるのが良いかもしれません

遺溝ですが丘陵尾根の西側に大堀切が、山頂を中心に
複数の平場が存在します


しかし、主郭と思われる山頂の大きな平場は不整形で自然地形に近いです
主郭東側には雛壇状に平場が設けられており堀切状の地形も存在します
主郭の北側に派生する尾根でも浅い堀切が確認できます
広範囲に城を見学しましたが纏まりに欠ける印象で

陣城か築城途中という印象です

3度訪れていますが訪れる旅に新発見がありました
遺構が薄く魅力的な城跡とはいえませんがこの城をめぐる
攻防の謎を考えながら探索するとそれなりに楽しめました

新編相模風土記稿によりますと
「某年12月、上杉治部少輔朝良が要害を攻めたときに
三浦道寸入道の家臣・武和泉守某討ち死に云々」と記述されております
鴨沢要害は三浦道寸の居城の岡崎城支城であったと思われ
太田道灌死後、主家の扇谷上杉氏を大森氏と共に
見限った際の争乱で鴨沢要害は攻められ落城したようです。

相模の平野部へ進出を目論む伊勢宗瑞が三浦氏の拠る

岡崎城攻略の拠点としたともいわれています
扇谷上杉氏が攻め寄せた際に従軍していた三浦家臣の
武和泉守が城際で討ち死にしたとも考えられています

遺構が明確でなく曖昧であるのと同じく
城の歴史もまた曖昧であります
扇谷上杉氏、三浦氏、伊勢氏が関わることは
間違いないでしょうが伝承が難解で解釈の仕方で
様々な考察が存在します

 

↓鴨沢要害の航空写真(電子国土空中写真を使用して作図)

参考 中井町史/ 全

    扇谷上杉氏/ 黒田基樹 編著 収録
    「鴨沢城合戦試考 石渡隆之」
    北条氏綱/ 黒田基樹 編著 収録
    「北条早雲・氏綱の相武攻略 佐脇栄智」

    新編相模風土記稿