築地館   奇跡的に残された土塁        ~栃木県大田原市~ | 攻城日記/3rd ~城逢人~

攻城日記/3rd ~城逢人~

中世城館・板碑好きのマニアの日々の記録

旧黒羽町築地地区に大館とも称される築地館はありました

宅地、耕作地となった館跡に僅かに土塁が残されています

ホントに僅かです^^

南北280m、東西180mという規模で複郭を備えた方形の居館であったようです

那須氏の祖・那須貞信が築いたと伝わります

神田城へ拠点を移すまで使用されたとも伝わります

残される土塁は西側に2箇所あります

高さは2m以上で残されていることが奇跡といえるほどの現状です

ただし50年以上前の航空写真と現状がほぼ変わらないので今後も残されるかもしれません

南東角に堀があることが確認できますが現在はほぼ失われてしまいました

※明治25年頃の地籍図で四方に土塁、南辺に堀が残されていたことが確認されています

那須与一宗隆の父・資隆が築いたともいわれは与一はこの館で生まれたとも伝わります

平安末期に築かれたとの伝承以外はありません

大館とも称されていることから那須氏が領内統治のために使用していたのではないでしょうか?

 

↓築地館の航空写真(電子国土空中写真1974~78を使用して作図)

 

参考

    那須与一とその時代/栃木県立なす風土記の丘資料館

    那須の戦国時代/北那須郷土史研究会