大江の市街地と美しい最上川の流れを見下ろす標高222mを最高地点とする山塊に
左沢舘山城は築かれていました
感想から先に言わせてもらうと「とにかくデカい、段郭が多すぎる」 この城の特徴を表す言葉でもあります
近世には最上川舟運の中継地として栄えた大江町は中世においてもある程度発展した街だったのでしょう
左沢楯山城の最大の役割は最上川舟運の監視であります
この城が大規模な縄張りを誇ったのも舟運のおかげなのです
↓楯山公園から見る最上川と日本一の景色
大江広元を祖とする寒河江荘を支配した大江氏の一族・左沢元時が14世紀後半に築いたと伝わります
この地方の南北朝期に築かれた代表的な城といわれます
時代を追うごとに城は拡張され戦国期には巨大な山城に姿を変えたのでしょう
寒河江大江氏が最上氏義光に滅ぼされると城は最上氏の管理下となりさらに整備されたことでしょう
江戸期には廃城となりその役割を終えます
↓切岸
楯山公園のある最上川に面した細い尾根と八幡平と称される曲輪
八幡座と称される標高が最高い曲輪群
東の寺屋敷を中心とした平場
裏山と称される西側の曲輪
北出曲輪
城はいくつか代表的な曲輪があり築かれた年代も異なるように思えます
※夏場の訪問で寺屋敷と裏山の遺構は見ていません
八幡座と周辺の曲輪群が城の中心と考えられます
鋭い切岸やシンプルな虎口、岩盤に構えられた曲輪跡、石積みなどがみられます
訪れた時は発掘調査中で直にその成果を拝むことができました(^O^)
↓発掘現場と石積み遺構
遺構は夏草に覆われ満足に撮影は出来ませんでした
それでも多くの遺構を堪能できたことで気分的には大満足です\(^o^)/
↓八幡座南側の曲輪に設けられた虎口
↓八幡座周辺の発掘現場
↓左沢楯山城の航空写真(電子国土1974~78を使用して作図)
参考
国指定史跡 左沢舘山城跡/大江町教育委員会 現地配布パンフ
左沢楯山城遺跡調査彫国書/大江町教育委員会
現地解説板
大江町観光パンフ
寒河江市史/上巻
山形県の中世城館遺跡調査報告書