鴻ノ巣館は清水沢地区鴻ノ巣集落の外れに建つ稲荷神社辺りにありました
地元でお屋敷と称される場所でかつては堀に囲まれていたそうです
松前藩主・松前慶広が参勤交代の際に仙台を訪れ
七男の安広を仙台藩士に取り立てる約束を伊達政宗としました
松前安広は茂庭元綱を介して1000石と御一家の家格を与えられ藩士に取り立てられ
松前氏は仙台藩の要職を務める家柄となります
安広は白石片倉家へ長男の三之助(小十郎景長)を養子に入れます
古内氏へ養子、娘の縁組をして仙台藩内で勢力を築きます
鴻ノ巣の館は江戸中期に構えられました
松前氏の石高は2000石でした
東西1丁、南北2丁という規模で家中屋敷は23軒ありました
表小路、裏小路、御門、札場、送り屋敷といった名称や地名が伝わり
松前氏の繁栄と家格を表すものとして興味深いものです
↓鴻ノ巣館の航空写真(電子国土1974~78を使用して作図)
鴻ノ巣館は仙台藩5代目伊達吉村が館に立ち寄った際に
京都の鴻ノ巣山にちなんで付けた命名したといわれます
参考
古川市史1巻/通史Ⅰ
北海道戦国史と松前氏/新藤透 洋泉社
仙台領内古城・館3巻/紫桃正隆