斉藤史・冥き淵からの眼 ② 〔文学のさんぽみち〕
麻痺の夫と目の見えぬ老母を左右に置きわが老年の秋に入りゆく
斉藤史の晩年は、上記の歌の如くであった。在宅介護が世の中の流れであった時代、夫と母と二人を一人で介護していた。
我を生みしはこの鳥骸のごときものかさればよ生(あ)れしことに黙す
己を生んだのは、今ここに横たわる鳥骸の如きものなのか。だとするなら、己は生まれて来たことに言葉を失う。
老(おい)不気味 わがははそはが人間(ひと)以下のえたいの知れぬものとなりゆく
〈老い〉は不気味なものだ。我が母、その人が人間ならざる得体の知れないものとなっていく。
声も姿も母ならぬものとなりはてし老の無明の底辺(そこべ)知らずも
声も姿も知っている母ではなくなっていく。〈老い〉がもたらす人間煩悩の底無しの淵までいくのか。
老い果てて盲母が語るは鬼語ならむわれの視えざるものに向ひて
眼が見えなくなった母が語っているのは鬼の世界の言葉なるか。もはや我の視えない虚空に向かって話しているが如くにだ。
「鳥骸」「得体の知れぬ」「無明の底辺」「鬼語」などの言葉にたじろぐ。しかし、たじろぎはしながらも、もし母がそのようなことになったら己はどう言葉を紡ぎ出すことができるのか……。
