コロナ禍と休校と宿題と ③ 〔暮らしのさんぽみち〕

この春の臨時休校と、そこから派生した宿題プリントへの9歳児Kの抵抗について考えてきた。Kの自由への目覚めは、とても大事な出来事だった。
折しも、絵本作家の五味太郎さんが「コロナ後の世界について」と題した本のなかでインタビューに答えて次のようなことを語っている。ぜひ、紹介したい。
……急に学校が閉められて先の見通しも立たず、大人も子どもも心が不安定になっていると感じます。(インタビュアーは朝日新聞記者。2020.4.14)
五味:それじゃ、逆に聞くけど、コロナの前は安定してた? 居心地はよかった? ふだんから感じてる不安が、コロナ問題に移行しているだけじゃないかな。こういう時、いつも「早く元に戻ればいい」って言われがちだけど、じゃあその元は本当に充実してたの? と問うてみたい。
おれはもともと、今の学校や社会は、子どもに失礼だと思ってる。
……失礼、ですか?
五味:子どもにとって教育は「権利」だと憲法に書いてあるのに、6歳になったら必ず小学校に行き、しかも学校も先生もほぼ選べない。特に初等教育のプログラムって、ほとんどが「大きなお世話」だとおれは思う。人格形成とか学習能力とか……。もちろん、誰も悪意でやってるわけじゃないんだけど、全員座ってじっと先生の話を聞くって、子どもの体質には合っていない。おれの娘は2人とも途中で学校に行くのをやめたけど、学校に向いていること向いていない子、あるいはどっちでもいい子がいる。
学校に行きたくない子どもに親が行きなさいと言うのは、子どもが「お風呂が熱い」って言ってるのに、親が「肩まで漬かって100まで数えなさい」と言うようなもので……。

インタビューに答える五味さんの「(学校や社会は)子どもに失礼だ」という言葉が目を引く。子どもの方をきちんと見ずに、どんどん進めて行ってしまう。ワクワクするような面白みも感じられないまま、「ハイ、100まで数えなければ出てはいけません」と言われるようなものだ。
Kは、グダグダし、寝そべって、ふてくされていたのだが、この経験はいつかより整理されて自身の歩みのために役立っていくだろうと、爺は思う。
