コロナ禍と休校と宿題と ② 〔暮らしのさんぽみち〕



 

(児童K=孫のプリント学習拒否にかかわる話のつづき)
 

9歳男児Kのプリント学習への抵抗ぶりは、なかなかだった。母親がなだめてもすかしても、「イヤだイヤだ」を繰り返した。

私は、そこには直前の担任との関係が反映していると思った。Kは、毎朝のように「学校へ行きたくない」「やめちゃいたい」と言っていた矢先、春休みよりも早く休校になった。「やったー」と満面の笑みで大声で喜び、そして東京と比べてだだっ広くて自由にできる田舎にやってきたのだった。

その「やったー」の中身をKは簡単に手放したくなかったのだと思う。自由だ! そう言いたかった。Kは、自分は自分のために自由を使いたい、そのことに目覚めたと思う。それを噛みしめていたかったのだと思う。

私は、Kの自由にかかわる目覚めは、とても大事なことだと思う。そもそもプリント学習は何だったかと言うと、復習ばかりで新しいものは何もない。『君は小学生で、学校はちゃんとあるよ。今は臨時休みで授業はないけれど、小学生の本分である勉強をするんだよ』というメッセージを込めたもの、つまりアリバイづくりだ。

そんなのに自分の自由を削られてたまるか! というのがKの目覚めと衝突したのだ。だいたいが、その前担任が『連帯責任』を振りかざしたのもアリバイづくりだ。他人に迷惑をかけなければ給食時間の過ごし方など自由でいいものを、『きちんと』という目標を上方に設定して『指導しています』のアリバイづくりをしている。

そう考えれば、Kの目覚めはとても大事なことであった。
(つづく)