介護の体験・未体験・介護される気持ち‥5 | SIS日記

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NPO法人SIS(シス)スタッフによるリレー形式の日記です。
「こころが動いたこと」や「共有したいささやかな出来事」など
スタッフの「想い」を定期的に更新していきます。
どうぞお楽しみに!

「する」介護からの解放 
                                   カンディンスキー
 
★三回にわたり「介護の体験・未体験・介護される気持ち」と題して、10月14日に行われた傾聴講座の報告を行ってきました。その報告を読んで感じたことや考えたことを、会話のかたちにて掲載しています。
 
「する」のくびきから脱する
 
【のび太】 あるとき、何人かで雑談していて介護の話題になったんだけど、ある80代の方が言った。「わが家は、ずうっとこれまで、弱い者を中心にして家のなかをまわしてきた。小さい子がいるときは小さい子を中心に。病人が出れば病人を中心に。年寄りがいれば年寄りを中心に」と。この方は、もう何年か前に父親、母親を見送ってきたんだ。
 
【しずか】  その方が言っていることって、とっても大事なことじゃないかしら。それで思いだしたんだけど、芹沢俊介さんが三好春樹さんとの対談(「老人介護とエロス」雲母書房)で語っていることがあるの。それは、「する」と「ある」の対比のなかで老いと介護を考えているの。
 
【のび太】 ん? どういうこと?
 
【しずか】 老いるというのは、ひたすら「する」が縮小していく。いろんなことが、できなくなる。私たちの社会は、基本的に「する・できる」への評価が常につきまとう。けれども、「老いの過程というのは、ようやくこの「する」のくびきから脱し、「ある」という段階に戻れる状態に入ったことを意味する。」ところが、「老いをとらえる価値観が、この戻りをストレートに肯定できないままになっている。」って言っている。
 

【しずか】 私はね、ハッとした。「する」のくびきから脱して「ある」に戻るんだ、もっと肯定的にとらえていいんだって思えた。
 
【のび太】 というか、芹沢さんの言う「ある」と「する」の対比のなかからは、老いを否定的にとらえてしまうものの正体がわかってくると思う。それは、介護者の側は「してあげなくちゃいけない」「しなきゃいけない」となって「する」価値観に囚われる。一方、介護される側は「申し訳ない」という遠慮のかたまりを生み出す。介護者の側の「する」意識が昂じると、「こんなにやっているのに」となって、「のに……」の部分が一人歩きし、いろんな問題を引き起こしたりする。
 
【しずか】 介護に「振り回される」という感覚が出てきたりするのも、そこかしら。Tさんが、「自分の大切にするものを手放すことなく、自分らしくありたい」と言うのも、よく分かるし。
 
「ある」への眼差し
 
【のび太】 さっきの、「弱い者を中心に家のなかをまわしてきた」と言った80代の方は、こんなことも言っているんだ。母親が晩年に認知症になった。奥様と一緒に介護をした。その方は、介護体験を振り返ってこう言うんだ。「認知症っていうのは、神様からの贈り物だなぁと思った」と。
 
【しずか】 「認知症は神様からの贈り物」だって? 
 
【のび太】 そう、神様からの贈り物、って。世間で認知症について語るときは、たいがいは厄介で、困った病気で、トラブルの震源地でというようなマイナスの語りになるんだけど、そうじゃないんだ。それはね、前後の話から想像するには、おそらく老いたお母さんが物事を忘れる、呆けてトラブルを起こす、ワガママに見えることを言い出す、そんなときに「仕方が無いなぁ、おばあちゃん」とか言って、一緒に探すとか、柔らかく受けとめるとかしていたんじゃないか。厄介で、困ったトラブルは家のなかで当たり前の、さほどでもない出来事で、お母様はご自身がだんだん呆けを受け入れ、自然で穏やかで天然な存在に戻っていったのではなかろうか。そういうことを、「神様からの贈り物」と言ったんじゃないだろうか。
 
【しずか】 そうかぁ。「仕方が無いなぁ」という言い方は、「する・できる Vs. しない・できない」の眼差しをチャラにしてるんだもんね。「弱い者を中心に家のなかをまわす」ということだから、自然にそうなっていく。むしろ、「仕方が無いなぁ」と言いつつ、手助けとか介護に動くことが楽しく、喜びになっているかも知れない。だから、「認知症は神様からの贈り物」なんていう言葉が湧いて来るのかも知れない。hさんの表現を借りて言えば、「そっと背中に手を添えて支えてもらっている感じ」が家のなかにあることで、子どもでも、病人でも、年寄りでも、認知症の人でも、「ある」がくっきりしてくるんじゃないかな。
 
【のび太】 テーマの最初に戻るけど、「自分のことも大事にしながら……」というのは、そこから出てくると思う。「そこから」というのは、介護が必要だという相手の「ある」に触れれば、自分の「ある」も自然に感じ、響き合い、自然に動き出す。それでいいじゃないか、それがいいじゃないかということ。義務や義理やノルマと質が違う。
 
【しずか】 はい。
 
 (終わり)