「介護」をめぐっての会話 
 
                                         カンディンスキー
★三回にわたり「介護の体験・未体験・介護される気持ち」と題して、10月14日に行われた傾聴講座の報告を行ってきました。今回から、その報告を読んで感じたことや考えたことを、会話のかたちにて何回か掲載します。
 このコラムが「どこでもドア」となっていることから、のび太・しずかの二人(成人している)が登場して進めます。
 
介護の何が「不安」か
 
【のび太】 『介護への不安を考える~まだ当事者ではないあなたへ』というテーマで話し合われた傾聴講座。とても大切な問題で、タイムリーな企画だったと思う。参加できなかった人も寄稿してくれて、濃い報告だったと思う。
 
【しずか】 私ね、Tさんが書いている『介護を不安に思う、そういう変化が生活の中にあったとしても、自分の大切にするものを手放すことなく、自分らしくありたい。そのためにジタバタしていた』というところ、とてもよく分かる気がした。結婚して、だんだん子育てから手が離れてきて、ふと目を転じると親の「介護」が迫ってきている。女性って、こういうとき、負担が大きくなる。ジタバタしてしまうのも、分かる。
 
【のび太】 この傾聴講座の趣旨の文に『自分のことも大事にしながら、介護をするには・・・』とあって、大切なことが書かれているよね。「負担」ということと、「自分を大事に」ということを、どう受け取って、どう考えていくかだよね。
 
【のび太】 そこで、ちょっと整理しておきたいんだけどね。現在、私たちの周りで話題になっている「介護」っていうのは、次のような要素があると思うんだ。
 
①身近な人の老いや加齢に伴う「介護」ということ。
 
②その「老い・加齢」は、これまでになく長~い期間を持つようになったこと。(高齢化社会の進行)
 
③よって、「介護」の場面や「介護期間」も以前より多くなり、話題にされることも多くなったこと。
 
④全体的に、社会保障制度や諸施設を含めた福祉の対応もまだまだ模索中であること。
 
⑤そして、どうしても女性の負担に傾きがちな状態が多いこと。
 
 これを縮めて言うと、〔できなくなる(高齢者が)〕〔長~くなる・多くなる〕〔追いつかない〕〔偏りがち(女性に)〕ということになる。マイナス・イメージばかりが先行している。
 
【しずか】 hさんが書いているけど、「身近な人を見ていると(介護の問題に)振り回されている感覚を受ける」のね。だから、不安が先立つ。女性の場合、とくに「嫁」だったりすると、「これでいいのか」と自分でも考えるし、「それでいいの?」と比較されたり、突っ込まれたりする不安が大きい。

「呼吸」をする・対話をする
 
【のび太】 Iさんが、こう書いている。
 
●父親の介護を経験して、「事ある毎に自分に置き換えて、自分の老後を考える貴重な時間を過ごした」 
 
●確かに大変だったが、「どのようにしてあげたら幸せでいられるかなぁ~? といろいろ考えながら側にいた」
 
●「体が思うように動けない事が、すごくストレスになっているようで、時々凹んでいるように見えた」
 
 これって、実際の介助などの具体場面を通して、Iさんは「呼吸」をしている・対話をしている。いろいろとできなくなっているお父さんに、一方的に「介護」をするのでなく、感じたり考えたりしている。
 
 「本人(父)が、自分の現在を受け入れているようでしたので、少しは安心しての介護でした。」……これなどは、相手の「呼吸」を感じながら、一緒に、自分なりに「呼吸」する。「すごくストレスになっているような」時には、自分の「呼吸」も凹む。「事ある毎に自分に置き換えて」、自分の老後のことも考える。そういう自分自身が自分に向き合う「呼吸」もある。
 
【しずか】 hさんが、お母さんが車を運転しなくなり、「出かけたい時には頼む事がストレスになっているよう」と書いているけど、ハッキリと言葉で表せなくても、お母さんの中にある感情のひだを感じている。たとえば、そう感じることが「呼吸」ということね。
 だとしたら、身近な人のストレスなどを感じ取ることは、自分の感じ方だよね。自分の中にはない尺度や義務で測るんじゃなくて、自分の持ち前の感じ方を大切にするということね。のび太さんが、「呼吸」という言葉で言いたかったことは、そういうことかしら?
 
【のび太】 少しは、テーマに近づけたでしょうか。話し合って、良かったね。
 
(つづく・鮮)