発達障碍と感覚の世界
そもそも、「発達障碍」と言われるものはどういうものなのでしょうか。その特徴として、3つ組の特徴(こだわり、対人関係など)があげられていることは分かりますし、さまざまな問題事例が報告されていることも耳にします。けれども、いちばんの元になっているのはどういうことで、どこから起因しているのでしょうか。「発達障碍は脳機能の障害」という説もありますが、「発達障碍は人間存在の原型」という説もあります。そこで、『発達障碍の世界を考える』と題して、3回ほど連続して「そもそも」論を展開しています。
生き物(生命体)は、すべて周りの環境に反応し、交渉して生きている。こういうことを、前2回(「発達障碍の世界を考える」1/3、2/3)に書きました。実にかんたんで、お粗末な素描であたりまえと言えばあたりまえのことでしょう。植物も動物も、それぞれのやり方で環境に反応し、交渉して生きています。
ところが、人間は、植物や動物のようにすでに組み込まれた本能などで環境に反応し、交渉するやり方から大きく飛躍する生き物となった。立ち止まって周りの景色を見て、「いいなぁ」「美しいなぁ」なんて感じる。見たモノから、いまここに居ない人のことなど連想したりする。想像する、味わう、愛でる。言葉を使っていまここに無いモノや事柄を巡ってやり取りする。・・・・・キリがないほど、人間は多彩に反応しています。
そのとき、次のような発言をどうとらえたらよいのでしょう。
『大多数の人びとは、対象物を知覚するときに、それらのざらざらした様子、つやつや、ピカピカ、スベスベした具合や、色あざやかだったり、くすんだりしている状態を見過ごしています。それらの滑らかさや、木目の粗さ、ひんやりとした感じを体験し損なっています。それらがちりんちりんと鳴り、叩けばトントン響く音を聞き逃しています。それらの甘さや香り高さ、味や匂いを味わわず嗅ぎ分けずに終わらせます。・・・彼らはありのままの感覚をさっさと通り過ぎて名まえにこだわるようになりる、等々、ということです。』(ドナ・ウィリアムズ「自閉症という体験」誠信書房)
自閉症者ドナが言っていることを私なりに言い換えて言えば、あるがままに感覚を開いて環境に反応するよりも、言葉を代理として世界に反応する人が大多数だ、ということだと想います。そして、ドナのような視覚・触覚・聴覚・味覚・嗅覚をフル動員して世界に反応する人は少数派だと思います。
この少数派の人たちが、自閉症者・発達障碍者と言われる人たちだろうと思います。
『水たまりは、おもしろいです。僕は、いつも水たまりに入りたくなってしまいます。ピチャっと入ると、ミズが跳ねます。その様子を見るのが愉快なのです。水たまりに足を入れた瞬間、何かすごい冒険をしているような気分になります。水の跳ね方が、その時々で変化するためでしょう。』(東田直樹「あるがままに自閉症です」エスコアール)
『青空を見ると泣けてきます。空がまぶしいためか、何かを思い出させるからなのかわかりません。その感情に流されながら、青空を見つめ続けると、ふと我に返ることがあります。この「我」とは、何でしょう。』(東田直樹「跳びはねる思考」イーストプレス)
『人は本来、動いていたい動物ではないかと考えています。いろいろなものを見て聞いて思考し、進化しようとするのです。』(東田・同上)
少数派のこの人たちは、こうして、言葉になる前の感覚をフル動員し、見聞きし、進化しようとしているのかも知れません。そのとき、多数派が得意な言葉で緊密に編まれた社会では不利益なことが多くなる。そういうことではないかと思います。(了)

