発達障碍の世界を考える…2/3 | SIS日記

SIS日記

NPO法人SIS(シス)スタッフによるリレー形式の日記です。
「こころが動いたこと」や「共有したいささやかな出来事」など
スタッフの「想い」を定期的に更新していきます。
どうぞお楽しみに!

人間的反応と他の生き物 
 
 
 そもそも、「発達障碍」と言われるものはどういうものなのでしょうか。その特徴として、3つ組の特徴(こだわり、対人関係など)があげられていることは分かりますし、さまざまな問題事例が報告されていることも耳にします。けれども、いちばんの元になっているのはどういうことで、どこから起因しているのでしょうか。「発達障碍は脳機能の障害」という説もありますが、「発達障碍は人間存在の原型」という説もあります。そこで、『発達障碍の世界を考える』と題して、3回ほど連続して「そもそも」論を展開しています。
 
 先回、生き物が環境に反応するようすを、植物と動物の場合をかんたんに見てみました。今回は、人間の場合です。
 
 植物の場合は説明不要と思いますので、他の動物と人間との反応の違いを考えてみます。
 
  ネコでもイヌでも、ライオンでもキリンでもかまいませんが、人間を除いた他の動物における環境への反応の仕方は、エサを見つけた時の反応(食餌行動)か、敵と味方を峻別するときの反応(警戒行動)か、仲間のオス・メスを求める反応(生殖行動)か、何もない時の無為の行動かでしょう。
 
 これをスローモーションのようにして分解して言えば、対象を認知する(エサ・敵・メスなどをキャッチする)、対象の持つ意味を了解し、行動する、でしょう。〔認知→了解→行動〕の一連の反応なのですが、それは一瞬のうちに行われます。なぜなら、この一連の反応は動物の本能に組み込まれているからです。
 
 さて、人間はと言えば、〔認知→了解→行動〕の一連の反応を他の動物のような一義的で本能に基づく反応ばかりでなく、幅広く反応するのです。
 
 たとえばの例をあげてみます。
●『石竹(なでしこ)のその花にもが朝(あさ)な朝(さ)な手に取り持ちて恋ひぬ日無(な)けむ』(万葉集・大伴家持)
 
●『天(あま)の原ふりさけ見れば白真弓(しらまゆみ)張りて懸(か)けたり夜路(よみち)は吉(よ)けむ』(同・間人宿禰大浦・はしひとのすくねおほうら)
  何でこんなところに万葉集が登場するのかとお思いでしょうが、おつき合い下さい。
 
 大伴家持は、ナデシコの可憐な花を見ると貴女が恋しくてたまらない。毎朝手にしては、想わない日がないほどだ、と詠んでいます。つまり、花を見て恋人を連想し、いま現実にはいない人を想像しているのです。
 
 間人宿禰大浦は、空を見上げれば白い弓のような三日月がかかって夜道が明るく、何だかとてもいいなぁと詠んでいます。つまり、いま目の前にある世界を愛でて味わっているのです。
 
 こうして、〔認知→了解→行動〕の一連の反応を人間は多義的・多面的に多彩に行います。いまあげた万葉集の2首だけで、〔連想・想像〕〔愛でる・味わう〕がありました。人間的反応の例は、他にもいくらでもあげることができます。
 
 たとえば、学校の休み時間に悪ふざけをしていて誰かが「シーっ、先生が来た!」と言えば、自分は先生の足音をキャッチしていなくとも言葉が代理して先生の像を結び、察知します。
 
 言葉による認知ができることで、人間の世界は格段に広がりました。まだ見ぬ世界を想像することができ、名作や古典を読んで過去の偉人の考えや生き様に触れることもできます。科学読み物を読んで事物の構造を理解し、その知識で実際に事物を見て新たな発見をすることもあります。
 
 人間は、〔認知→了解→行動〕を多義的に行うことができる。実にかんたんな素描ですが、それなら発達障碍というのはどういうことだろうか。次回に挑戦してみます。