ただの合格ではない | 森永の小部屋 

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主に教室受講生に対して書いているブログです。このブログはTACの公式見解ではなく、森永個人の主観に基づくものです。たまにどうでもいいことも書きます。また、記事は万全を期しておりますが、万が一不利益を被られたとしても責任は負わない旨ご了承ください。

受講生の皆様、お疲れ様です。


今日も昨日の記事の続きを。



資格試験


というものは、結果としては合格するか不合格になるかの2択であり、どれほど惜しいところまでいっても不合格であれば公的には何も手に入れることは出来ません。


ということで、「結果が全て」などとよく言われます。


これは、ある一面では正しいのだと思います。私も社会保険労務士試験では総得点で圧倒しつつも選択式の空欄一つで何度も落ちていますが、どれほど惜しくても落ちれば何も意味はない、と心の底から実感しました。


ということで、あと少しのところで競り負けないように日々勉強に取り組むということになるのですが、今日はそこから先の話しを。



長年講師をしていて思うのですが、1年前後にも及ぶ資格試験の勉強で人は大きく変わります。


受講し始めた頃


6月あたりで中弛みと戦っている頃


直前期に向けて緊張感が高まっている頃


直前期の答練で打ちのされた頃


行けるんじゃないかと思えた頃


合格してから


見ているわけです。色々な経験をし、様々なことを乗り越えた結果、勉強しだした頃と比べて変わっていきます。


受験生なら一度は「楽に合格したい」と思うのではないでしょうか。私もそんな時期がありました。


ドラえもんに出てくる暗記パンとか欲しいな。でも食べ切れないな。スモールライトで小さくしたら沢山食べられるのではないか。だったらタイムマシンで未来に行って問題手に入れるか。それか、一番楽なのはもしもBOXで、「もし私が試験に合格していたら」というセカイを作るか。


早く勉強しろよ


ということで勉強に戻るのですが、こんなときに「勉強全然進んでないけと、運で合格するとかないかな」とか考えてしまいます。そして、実際にはそのような人も0ではないのですが、そんな天文学的な確率に自分の人生をかけることも出来ず、結局は自分で自分を奮い立たせて勉強に打ち込む。


勉強をやればやるほど、「ここまでやって駄目だったらどうしよう」という気持ちも湧いてきます。


そして、本試験会場で本試験と向き合い、無我夢中で乗り越えた先に合格がある。


弱い自分に向き合って、克服したり受け流したりしながら、人として成長する所が出てきます。



せっかく試験勉強をして合格するのですから、公的な「合格」を手に入れるだけでなく、自分自身を成長させる機会とすべきです。


始めた以上は腹を括り、何がなんでも合格を取りにいく。合格可能性を最大にするには、先に「合格出来る人」になることです。


日々弱い自分に打ち克って、点数だけに一喜一憂するのではなく、少しずつでも成長を感じて先に進んでいきましょう。 


点数だけに目を向けるとしんどい時期がやってきます。努力が点数に反映されない時期がきても、何か一つでも成長している所があるのならそこはきちんと評価する。


そんな先にある合格は、きっと単なる合格証書以上に意味のあるものとなるでしょう。



先日集まってくれた方々も、本当に素晴らしい方々ばかりで店主様からも「本当に、本当に皆さん楽しそうだった(特に森永)」と言ってもらえました。


合格することは当然として、合格以上のものも手に入れる。この点に関して謙虚になることはありません。


毎日の学習がここに繋がるように過ごしていきましょう。


では今回はここまでとします。お疲れ様でした。