あたたかいと思っていたら、結構な寒さ・・・
きのう孫④娘を預かった。
玄関からもう泣くことも無く、すっと腕から腕へ移動された。
厚いマントのようなフードタイプのものを着ていたので
脱がせると、下には普通のTシャツだけ~
ヽ(゚◇゚ )ノ これだけ??
自転車で走ってきた?
薄くない?
靴下はさっさと自分で脱ぐ。
あまりに寒そうなので着られそうな、うちにあったのを着せた~
それも
しばらくすると、自分で脱いでしまう。
ーーーえー 寒いよねー
HDさん
「うん・・・」
エアコンはつけていないので、寒いんだけど
電気ストーブはどうしても、近くに行ってしまうし点けていない。
この前は避難させていた(隠していた)ストーブをHDさんの部屋で倒した。
! スチーム用の水がダーーーっと ひろがって。。。 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
帰ったあとで、空気清浄機が止まっていたので
HDさんに聞くも知らないと言う。
孫たちがくると、ついている電化製品を消してしまうHDさん。
触るからって、、
昨日は孫④が触って、消してしまったらしかった。。。
延長コードの元スイッチが切れていた。
プチって押したんだね~
1歳半。大人より薄着とはいえ・・・
活発に動き回るが手足先は冷たい。
我が家が寒い家であることは子①は知ってるハズなのに。
子①に連絡すると
【すぐ 脱ぎたがるね】
そうなんだ、、
近寄れないところの
遠くのテーブル下のストーブをつけることにする。
先日 雛飾りをみた。
7段飾りってちゃんと見たことがなくて
三人官女・五人囃子・・・?
そして 下の方に3人・・・だれ?
ーーーねぇ この年寄りみたいな3人って?
HDさん
「あー いたねー 並べてたわー」
「誰やったかなぁ・・・」
お人形屋さんでバイトしていて雛飾りも売っていたHDさん。
「えーーーっと
えーーーっと 忘れてしもたなぁ (〃∇〃) 」
覚えていることはないんだね ~
( 一一)
五段目には、仕丁(しちょう・じちょう)の三人を並べます。泣き、笑い、怒りという三つの表情で作られていることが多いので、「三人上戸(さんにんじょうご)」とも呼ばれます。仕丁は御所の雑用を司る者たちで、持ち物は向かって左から台笠(だいがさ)、沓台(くつだい)、立傘(たてがさ)となります。関西(京都)では箒、塵取り、熊手を持ちます。ただし、どの人形が何を持つかは特に決まっていません。仕丁の左右には「桜橘(さくらたちばな)」を飾ります。この樹は、実際に京都御所の紫宸殿(ししんでん)の御庭に植えられているもので、「左近の桜(さこんのさくら)・右近の橘(うこんのたちばな)」と呼ばれます。段飾りの左・右は内裏雛から見ての左右ですから、飾る場合は名称とは逆に、向かって左に橘、右に桜を置きます。
ーーーこの7段飾りって上層階級 権力の構図だよね
「・・・ (。・ω・。)。」
そもそもひな祭りは日本で生まれた行事なのだろうか?
実は古代中国の「川で身を清めて邪気を払う上巳(じょうし・じょうみ)節」が日本に伝わり、日本古来の「人形(ひとがた)流し」という厄払いの風習と結びつき、さらにそれが平安時代の貴族のおままごとである「ひいな遊び」と組み合わさって、徐々に今のような形になったといわれている。
ちなみに上巳とは、3月上旬の巳(み)の日のこと。当初は3月に入って最初の巳の日に行われていた上巳節は、3世紀ごろ3月3日に固定されたという。
子どもが生まれると人形をつくって保管しておき、3歳ごろになってから流すという時代もあったが、時を経て人形が豪華になっていくにつれ、流さずに素早く片付けるようになったという。
日本で現在のような人口動態調査が始まった明治32(1899)年でも、生後1年未満の子どもの死亡率は15.38%だったというから、それ以前の子どもが3歳まで生きられる確率はかなり低かったと推測される。厄払いの行事が、いつしか子どもの健康と成長を祈る行事になったのも自然な流れかもしれない。
このように元は男女問わず子どもの健康と成長を祈っていた上巳の節句は、「端午の節句(5月5日)が男の子の日」という認識の広まりにあわせて、「女の子の節句・ひな祭り」として庶民に定着していった。
江戸時代の中期以降は盛大な「雛市」が立ち、段飾りが生まれたという。「ひな祭り」という言葉もこの頃から一般的になっていった。
低かった生存率。
今はどれくらいになったんだろう~
みんな ちゃんと「おとな」になってね~♪