今城塚古墳の大王 | 白ごはんに~うめぼし♪

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今はちょこっとパニック症候群。とそれによる開帳足・偏平足による足の痛みで思案中。
日々の小さな いろーんな事で元気を出そうとしてます。






以前に来た時よりも、綺麗に整備されていて、ピクニックにも最適。


家族連れや子供たちがお弁当を持ってきて楽しむ場所になっている。


(*^▽^*)











難しい歴史は考えないで、のんびりと見て回る。


いかに手をかけた大きな墳墓であるか~


(ノ´▽`)ノ






史料館は大スクリーンで昔の様子を見られるようになっていた。




銅鏡もたくさん出土し、この表面には誰がいつ作ったかと書かれているそうで、それはとても珍しいものだとの説明を聞く。



「魏志倭人伝」(『三国志』魏書東夷伝倭人条)には、景初3年(239)6月、倭国の外交使節団が邪馬台国を出発し、12月に魏の都・洛陽に到着。魏は倭国女王・卑弥呼(ヒミコ)に対し「親魏倭王」の金印とともに「銅鏡百枚」などを与えたと記されています。安満宮山古墳の鏡はその一部を含むと考えられ、「銅鏡百枚」の実態に迫る画期的な発見となりました。


他国より送られた鏡も、のちに日本で作るようになった。


願い事みたいなものも書いてあった・・・と、聞いたと思う (;´▽`A``


いい加減だなぁ・・・


絵馬みたいだと思った気がするから。



それはそれは美しかったようなので、贈り物でしょうね~


光を集めて狼煙のように合図に使ったとも言われていますが、それならば、こんなに数は要らないと、思うな、、、







石棺の展示あり、


こういうリアルなのを見るとゾクッとする~~こわい







そして、石棺を覗いたら!


(((( ;°Д°))))


びっくりしたー


作り物であれ、人のかたちをしているのは一瞬 息を飲んでしまう。





近くからは、、、一度で撮れない、、、、



横になっているから大きく思うのかな、大きな人だ。

ずいぶんギリギリサイズに石棺を作ったものだと思う。





鏡はピカピカ面を見えないようにして、飾ったのだろうか。


それに力があるからだろうか。









私たちが住む三島地域には大小約500基の古墳が存在し、三島古墳群と呼ばれています。この古墳群には、古墳時代初頭から終末期までの各時代を代表する古墳が含まれ、羽曳野・藤井寺周辺の古市古墳群、堺周辺の百舌鳥(もず)古墳群と並び称されるほどの規模を誇ります。



前方後円墳が何基かバラバラとあるのだけれど・・・


疑問。

(。´・ω・)?



あの鍵穴型のあの形はどう見ても方向がある。


昔むかし、土地はなんとでも手に入ったと思うのに、何故あの鍵穴型の古墳はあちらこちら向きなんだろう?


方向=日の出る方向などは大事な要素ではなかったのかな?


みんなが同じ方向に揃っていて良いものだと思うけれど~


地図にある古墳はめちゃくちゃな方位に向かっていた。






この時代にこんなにも立派な馬具があったとは、認識不足だった。


古墳時代ってもっと原始的な感じを思っていたので、装飾品にも驚いた。


(^^ゞ


いや~


知らなかった~





今回は説明はまったく読んでいないんだけど (^^ゞ


ポイントを細かく設定して読んでいくと、沢山の時間が流れていくだろうな。




全部 タダだし、運動にはなるし、季節も感じられるし、お花は無いけど木々があるし。

 

近くだったら、毎日来ても飽きないな~