通りすがりの家が取り壊されて、更地になっていた。
壁の中のお宅はどんなだったのか分らないけれど、
何も無くなった地面に、ポツンと小さな幼木が出ていた。
ほんとに端っこの方で、緑の葉っぱが7・8枚の10cmちょっとのもの。
どうするのか?
あのまま、残しておくのか?
何の木だろう? 種が落ちて発芽したんだ・・・
いかにも意図的に残してあるように見えるのは、
周りがあまりにゴロゴロの埋め立てた土だからだ。
欲しいなぁ。
工事の人たちが動き回っているところで、
いつもチラチラと、横目で見ながら通り過ぎる。
『NHKの趣味の園芸』 で 【豆鉢】 を見た。
初めてだったので、衝撃! ((o(б_б;)o))
こーーーんなに、小さいなんて!
http://www.nhk.or.jp/engei/engei/fleurs/090913.html
http://www.nhk.or.jp/engei/engei/fleurs/090906.html
いいな、いいな、、、
『豆鉢の歴史』
http://homepage2.nifty.com/miyamotoen/bonsai-turedurekusa-5/75.htm
豆鉢の歴史は、江戸期における雛飾り用のミニュチュア鉢(造花用)を
豆盆栽に流用したのが始まりだといわれています。
また大名が参勤交代の折に、籠の中にしつらえた棚に造花を飾って無聊を慰めた、
ともいわれていて小指の先ほど、直径1cmくらいの豆鉢も存在します。
いずれも大名や大身旗本などのあいだで流行したものですから
ミニュチュアといっても一流の陶芸師によるレベルの高い作品ばかり
豆盆栽の先覚者といえばなんといっても
旧高松藩の12代の殿様であった松平頼壽伯爵(国風盆栽会初代会長)
松平伯爵をはじめとした豆盆栽の愛好家達は
旧お庭焼(藩お抱えの窯)の窯元などに豆鉢を注文しています
薩摩焼や伊万里焼、尾張焼、九谷焼などがその代表的なものです。
こうゆうわけで江戸期や明治期にかけての豆鉢が
現在に至るまで盆栽界に伝えられているのです。
頼壽公遺愛の豆鉢も現在に伝えられていますが
まさに盆栽界の宝物です。
日本人のミニチュア好みは今に始ったことではなく
大名諸侯にいたるまでの、昔からの伝統的な嗜好なのですね。
昔からあるものなのだ。
かわいいなぁ♪
鉢にはちゃんと穴が開いていて、手をかけて育てなければならないようだ。
なんだか鉢だけでもかわいく思えてくる。
みんな小さい物に夢とか憧れとか優しい感情を持ってきたのだろう。
ジオラマや、外国のドールハウスにも、同じ思いを持つ。
『豆鉢・ 木黄』
http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/6922/bonsaikobati/mokuou.htm
『豆鉢・せともの市場』
http://www.rakuten.co.jp/setomonoichiba/111055/117283/
【豆鉢可愛いねえ。
植えてあった物は皆、近所でゲット出来そうな物ばかりに思えました。
大雑把なわたしはマメな手入れが苦手だなあ。
植えたら植えっぱなしが好きです。】
こんなメールが来て ヾ(@°▽°@)ノ あっはっは。
さすがに友達って似た者同士ねェ。
育てたいわけでは無くて、ただ眺めていたいだけだからね。(^。^)
ん。
近所でゲット?
こんな鉢があったとして、いったいどんな種を蒔くのだろうかと思った。
草ではなくて 「木」 が良いから、そんな物の種ってどこで?
手に入れるのだろうかと思っていた。
そっかー
山なら、何かありそうだ♪
小さな小さな苗木もありそうだ♪
そうだ。 何かの実を埋めれば良いのか♪
工事がお休みだった今日は、あの更地に誰もいなかった。
自転車を止めて、じっと見るけれど、何もない。
あの苗木は?
あ、葉っぱが全部落とされて、茎だけがスックと立っている。
ひょっとして、生きるかも・・・
誰もいないのを良いことに、ロープの隙間から中に入って、
その茎を引き抜こうとしたが、
しっかりとした根が張っていて、とても、簡単には引き抜けそうにはなかった。
みんな地上は頼りなさげでも、根っこはがっちり地球と
繋がっているんだ。。。
あっさり諦めて、手を離した。
いずれ家の基礎工事に引っかかるんだろうなぁ。
でも、敷地の端っこの方だから、新しい家が建って、その壁際から
むくむくと姿を表して成長してくるかも知れない。 (*^。^*)