今日も見事な晴天。
空の上からも私たちが良く見えた事でしょう。
これからは、先に葬儀などの話を。そして最後に過去の写真を載せて行こうと思います。
りんの写真で少しでも癒されてもらえたなら嬉しいです。
なので文章を読まずに写真だけ見るのでも構いませんので、また白柴りんをよろしくお願いします。
りんがいなくなったことにも少しずつ慣れて来て、普通の日常を普通に過ごせるようになってきました。
皆さんから心配してもらっている母も、だいぶ元気を取り戻してきたように感じます。
もちろん何かの拍子で悲しみは溢れてくるのでしょうけど、少しずつ元に。
いない事に慣れ、悲しまない時間が増えるのが、良い事なのか悲しい事なのかわかりません。
でもずっと悲しむわけにはいかないし、難しいですね。
りんが亡くなったのが11日で、葬儀は13日でした。
葬儀の時間は14時半。
その日は、午前中は何してたかな。プラモデル作ってた気がします。
娘は早帰りにしてもらい、帰って来てからダンボールで作った棺へ移しました。
その前に、姉がどうしても一緒に写真を撮って、その写真を一緒に焼きたいというので、時間ギリギリだってのに写真→キタムラへ注文→受け取りへ。という流れに。プリンターが壊れているのでね。
キタムラの店員さんはりんをとても可愛がってくれて、今回の写真確認で中を見たら号泣。
仕事を抜けて車に乗っている遺体を見に来てくれました。
言葉にならないほど泣いて下さり、有難かったです。
我が家は棺を用意しましたが、そのまま抱いていかれる方もいるのですね。
火葬する時にそのまま焼くものだと思って、ダンボールで棺を作りました。
でも焼く時は棺から出したので、結局必要ありませんでした。持ち帰ったし。
ただ母も姉も悲しくて抱いては行けなかったと思うので、作って良かったです。
お寺に着いて、お経をあげてもらい、遺毛が欲しければそこでもらうという流れでした。
そして、火葬炉へ。
前回の動画の時にも話しましたが、台に乗せ換える時が…
お花でいっぱいにして、姉がみんなの写真、今までの写真をいくつか乗せ、話しかけ、触って。
ゆっくりと。この後に待っている、火葬をしたくなくて。
でもそう言う訳にはいかない。
別れの時。
最後の最後の写真。
火葬炉に入れるところの写真を撮ったのです。
一度ブログの文章を作り、写真を載せました。
これ、見たい人いるのだろうか。
こんなに綺麗なのに。可愛いのに。
なんてぐるぐる考えていたら、ちょっと気分が悪くなったので、ごめんなさい。写真はなしです。
骨の写真は見てほしいと思っているんですが、なんでか火葬炉の写真は駄目ですね。
火葬炉に入れる時が、一番悲しいというのは当たり前ですよね。
小学1年の娘は、全てが初体験。
骨にする意味も分かっていないし、火葬炉もわからない。
台に乗せて何をするのか説明していなかったけど、察したのでしょうね。号泣してました。
母も姉も。
私は、泣きませんでした。
目に焼き付けようと思って。
私だけはしっかりしていようと思って。
溺愛していたんですよ。誰にも負けないくらい分かり合ってたつもりでした。
でも泣かなかったです。
感情が無くなってたのかな。実感がないから?
自分でもわからなくなってます。
長々と自分語りで、読む側も疲れるだろうなぁ。
もし全部読んで下さったのなら、分かり辛い話で申し訳なかったです。
火葬が終わるまで2時間はかかるので、お寺で待ってても良いし、外で時間を潰してもいいし。
私と娘はちょっとだけ外出。
その後戻ってから、骨壺やペンダントを選びました。
そのお話はまた次回致しますね。
写真が無いのも悲しいですね。
2019年の、気持ちよさそうに寝ている写真です。
うーん綺麗。
この時点でも十分シニア犬だったのに。
今頃同じような姿で、花畑の真ん中で寝てるんだろうな。