先ず 最初に向かったのは、こちら
吉備中央町役場(加陽庁舎)にある
友琳の庭(ゆうりんのにわ)
もともとは京都にあった京都友琳会館に作庭されていた
コレぞ三玲氏と言わんばかりの モダン的な池泉回遊式庭園
江戸時代の画家 尾形光琳と
友禅染めを確立した 宮崎友禅斎から一文字ずつ取って 『 友琳の庭 』と名づけられました。
では 庁舎の2階へあがって俯瞰してみることに
なにやら渦巻き模様が、、、🌀🌀
どうやら さまざまなおめでたい意味がある
和柄の束ね熨斗(たばねのし)
と呼ばれる模様を取り込んでいるのだとか. . .
この三玲氏の独創的なデザインは
モダンにして遊び心を散りばめてありました😆
続いて 向かった先は
重森三玲氏の原点とも言える
生家跡
ここに 三玲氏18歳の時
当時 茶の湯の稽古の為、自ら設計した
茶室 天籟庵(てんらいあん)を作成
その後 上京して日本美術学校を卒業後
関東大震災のため こちらに戻り 29歳(1925年)の時に
その茶庭として作庭したのが 松籟園庭園(処女作と言われております)
現在は
無骨に残った 枯山水庭園の石組みだけが露わになっておりますが
その配置や見せ方はさすがですね!
そして、ここにあった茶室は
少し離れた場所にある
重森三玲記念館に 移設されており
隣接する吉川公民館で受け付けすると
資料室での 関連映像を観ることが出来
館長さんの案内のもと
生家にあった茶室に通してもらえます☺️
本来なら
国登録有形文化財の茶室と
晩年になった三玲氏の庭園は
撮影NGなのですが 特別にお許し頂きました‼️
まぁ、さすが茶室の中は遠慮して😅
資料室のVTRにて ご紹介しますが
4畳半の茶室には 3つの床の間があり
それぞれ
三書体をイメージされているとのこと、、、
(コレを20歳前にすでに作成していたとは... )
ちなみに この庭園で
表現されているのは 大海の渦だそうで
赤く色分けで使われているのは ベンガラを
混ぜたモルタル(コンクリート)
飛石には 庭石の最高峰と言われる京都の
鞍馬石(くらまいし)‼️
鎌倉時代の蹲を配されております。
茶室の揮毫はもちろん三玲氏筆
そして 三玲ワールドに欠かせない
竹垣に 隠された文字. . .
天籟庵の天と
隣にある 吉川八幡宮の八が 入っております。
なるほど 八幡神は海上神だから
茶室の縁側も船をイメージされているのですね!
ちなみに 先程の茶室のあった場所は
三玲氏と神社⛩との深い関係性なのですが
室町時代に造営された
本殿は 国の指定重要文化財
この重要文化財へ 推挙したのが三玲氏だと言われており
その鑑定(調査)をする為、関東から建築博士を 自宅(生家)で滞在してもらうのが
きっかけで あの松籟園庭園が生まれその後、造園の世界へと進み始めたと言われています。
その人生のきっかけとなった
ありがたいお導きを 僕もほんの少しだけあやかることにして . . . お詣りさせて頂きました(^^;;
さすがに 三玲氏の出身地だけあってまだまだ他にも多数
素晴らしいお庭がございますが、ほとんどが個人宅なので非公開みたいです。
機会があれば 是非、お伺いさせてもらいたいものですね😌
重森 千青(三玲の孫)作庭
石組みで 漢字の三玲を表していると館長さんに教えて頂きました😁