城めぐり | 赤穂城その1!忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の居城! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

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お城めぐりの旅、赤穂城その1の紹介です。

 

城名(別名) 住所 関連する人物
赤穂城(仮屋城、加里屋城、蓼城) 兵庫県赤穂市上仮屋1424-1 浅野内匠頭、大石内蔵助

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日本100名城スタンプ No.60
登城年月:2008年12月
登城順:26/100
赤穂城は、忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の居城です。
開城時間:本丸・二之丸庭園 9:00~16:30
休み:年末年始
本丸・二之丸庭園以外は無休、時間制限なし

くるまr駐車場があります。

100名城スタンプは本丸櫓門下にあります。


浅野長直、13年の歳月をかけて赤穂城を築く
赤穂城は、正保2年(1645年)、笠間から赤穂へと転封となった浅野長直(あさのながなお)によって築かれました。
慶安元年(1648年)から前藩主・池田家が居としていた掻上城を大幅に拡張改修し、13年後の寛文元年(1661年)に城は完成します。
本丸と二の丸は「輪郭式」、三の丸は「梯郭式」になっており、南側は瀬戸内海に面し、東側には千種川が流れています。
かつては10の隅櫓、12の門があり、本丸に御殿がありました。
本丸には現在も天守台が残りますが、当時から天守台のみで天守は築かれませんでした。

3代浅野内匠頭の刃傷事件により改易
赤穂浅野家は長直から3代続きますが、3代藩主・浅野内匠頭(長矩)(あさのたくみのかみ(ながのり))は吉良上野介(義央)(きらこうずけのすけ(よしなか))相手に江戸城・松の廊下で刃傷事件を起こして改易となりました。
その後、永井家が1代治め、永井家の後に森家が入り、明治までこの地を治めました。

その1では三の丸の大手~北横矢桝形~大石神社~大石家の長屋門、近藤源八家、武家屋敷を紹介します。

 

 

縄張り図。以下の写真は本縄張り図を参照のこと。

 

 

三の丸大手門。

 

 

三の丸大手門と大手隅櫓。

 

 

三の丸大手隅櫓の鯱と浅野家の紋「違い鷹の羽紋」。

 

 

三の丸大手の狭間。

 

 

三の丸大手高麗門を城内側より。

 

 

三の丸北横矢桝形。奥に見えるのは大手隅櫓。

 

 

大石神社。祭神は大石内蔵助ら四十七士と浅野3代、森家7代。

 

 

家老・大石家の長屋門。

 

 

長屋門を内側から庭園越しに。

 

 

近藤源八家の長屋門。長屋門の長屋部分のみ現存。

 

 

長屋を内側から。

 

 

武家屋敷公園にある武家屋敷門。

 

 

その2へ続く

 

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