城めぐり | 高島城その1!日根野高吉が築き諏訪家が代々居とした諏訪の浮城! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

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お城めぐりの旅、高島城その1の紹介です。

 

城名(別名) 住所 関連する人物
高島城(茶臼山城、諏訪の浮城) 長野県諏訪市高島1丁目20−1 日根野高吉、諏訪頼水、諏訪忠粛

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続日本100名城スタンプ No.130
登城年月:2023年10月
登城順:7/100
高島城は、諏訪家が代々居とした城です。
くるまr駐車場があります。

続100名城スタンプは天守閣内にあります。
休館日:12/26〜12/31、11月第2木曜
開館:9:00〜17:30(10/1〜3/31は16:30)
入城料:310円

※続100名城スタンプだけはもらえません。
入城料が必要です(2023年10月現在)。


諏訪家の居城・高島城
高島城は、天正18年(1590年)、諏訪頼忠(すわよりただ)に代わり入封した日根野高吉(ひねのたかよし)によって築かれました。
城は天正20年(1592年)から慶長3年(1598年)まで、7年かけて築かれました。
築城当時、城は湖と湿地に囲まれ、「諏訪の浮城」と呼ばれていました。
城の縄張りは、本丸、二ノ丸、三ノ丸を一直線に並べた連郭式です。
天守の屋根は瓦葺きではなく、杮葺き(こけらぶき)で、諏訪の寒冷に対応するためと言われています。
なお、現在の天守は銅板葺きに変更されています。

慶長6年(1601年)、日根野高吉の子・日根野吉明(ひねのよしあきら)は壬生(みぶ)へと転封となり、代わりに諏訪頼水(すわよりみず)が入城します。
以降、代々、諏訪家が居とし明治を迎えました。

改易された松平忠輝と吉良義周を預かる
高島城では、江戸幕府によって改易され配流となった人物を二人預かっています。
寛永3年(1626年)には、徳川家康の六男・松平忠輝(まつだいらただてる)を、元禄16年(1703年)には高家・吉良義周(きらよしちか。吉良上野介の養子)を預かっています。

高島城の現状
二の丸、三の丸は宅地となっていますが、本丸は良好な形で残っています。
現在、天守・冠木門・角櫓が復元されています。

※高島城は何回か行っているので、写真は2023年以前のものも混ざってます。

 

その1では、a.天守を紹介します。

 

 

縄張り図。パンフレットより。


※以下の写真のアルファベットは本縄張り図を参照のこと。

 

 

a.天守と小天守台。かつては小天守もありました。

 

 

a.天守と小天守。天守の博物館より。

 

 

a.天守の鯱。

 

 

a.天守北西側から。

 

 

a.天守北側から。

 

 

a.天守北側から。

 

 

a.天守北側から。

 

 

a.夕焼けの天守。

 

 

a.天守内から諏訪湖。

 

 

a.天守内からb.冠木橋。

 

 

その2に続く。
 

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