武将な寺社めぐり | 船橋東照宮! - 徳川家康の船橋御殿跡に建つ日本一小さい東照宮 | 地図付 | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

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日本一小さい東照宮といわれる船橋東照宮を紹介します。
 

寺社名 ゆかりの武将 住所
船橋東照宮 徳川家康、徳川秀忠、徳川家光 千葉県船橋市本町4丁目29−12

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船橋東照宮はかつての船橋御殿の跡地に建ちます。
日本一小さい東照宮として有名です。

くるまr駐車場はありません。


徳川家康の鷹狩りのために建てられた船橋御殿
鷹狩りを好んだ徳川家康は、江戸から東金(千葉県)への道のりの途中に休憩や宿泊のために、いくつかの御殿を造りました。
船橋御殿もその一つで、御殿の建設は慶長19年(1614年)の鷹狩りの際に造られたものと思われます。
ちなみに、家康は東金での鷹狩りを、慶長19年(1614年)1月と元和元年(1615年)11月の二度行っています。
そのうち、元和元年の帰途の11月25日に、船橋御殿に宿泊したことが記録に残っています。
船橋御殿の面積は57,000㎡で、東側は海老川が流れ、周囲には土塁を巡らしてあったといいます。

鷹狩りは、次将軍・徳川秀忠の代になってからも行われたので、都度、船橋御殿は使用されたものと思います。
徳川将軍家の東金の狩猟りは三代将軍・徳川家光の代の寛永七年(1630年)頃に終止となりますが、その後も当面の間、船橋御殿は残されました。
船橋御殿が廃止とされたのは、寛文11年(1671年)の事でした。

船橋御殿の跡地に建立された日本一小さい東照宮
御殿の跡地は船橋大神営営司・富氏に下げ渡され、跡地の一角に富氏によって徳川家康を記る東照宮が建立されました。
現在の東照宮は、安政4年(1857年)に再建され、昭和2年(1927年)に修繕されたものです。
当時の境内はもっと広かったのかもしれませんが、現在ではこじんまりとしており、日本一小さい東照宮として有名です。

 

 

日本一小さい東照宮の看板。

 

 

東照宮全景。

 

 

この松は当時から残るものでしょうかはてなマーク

 

 

こじんまりとした境内。

 

 

船橋東照宮社殿。

 

 

徳川のマーク。

 

 

社殿の屋根には葵の紋が。
 

 

 

御殿の東側を流れる海老川。御殿の東はこの川に守られていました。

 

 

船橋御殿の縄張り図と現在の地図との比較。

 

 

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