「武るるん♪ 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」
お城めぐりの旅、金谷城の紹介です。
城名(別名) | 住所 | 関連する人物 |
---|---|---|
金谷城 | 千葉県富津市金谷4111 | 上総武田氏、里見実堯、里見氏、正木氏 |
主郭部分は遺構が良好に残っていますが、 非公開です。
駐車場はありません。
「TJKリゾート金谷城」の駐車場はありますが、使用不可。
金谷海浜公園に無料駐車場があります。
城までは徒歩20分ほど。
海城サミット2023 in CHIBA
海城サミット2023 in CHIBAという企画が2023年1月1日から2023年3月19日まで開催されていて、その一環として通常非公開の金谷城主郭部分が特別公開されました。
限定公開日は2月12日と2月19日の各2時間のみで、事前申し込み先着順40名まで。
参加費は700円。
2月19日の公開に申し込み、参加することが出来ました。
…ワクワクしながら行ったのですが、なんと強風のため、主郭の見学は中止
しかし、「TJKリゾート金谷城」館内にて金谷城の説明や発掘調査の出土品の紹介など、貴重なお話を2時間ほど聞くことが出来ました。
ちなみに、2月12日は天気も良く無事公開されたようです。
そっちにしとけばよかった
里見水軍拠点の海城
金谷城の縄張りは、標高120mの主郭から北側の斜面に向って郭群が直線状に形成されています。
城の西側は東京湾を望む急な崖となっています。
現在、三浦半島と房総半島を結ぶフェリーが金谷城下の港から久里浜まで運航されていますが、 中世においてもこのルートは東京湾の航海上、重要なルートでした。
東京湾の海流がこのルートの北と南で内海と外洋に分かれているそうです。
なので、東京湾の出入りを固める位置にある金谷城は戦略的にも重要な拠点でした。
金谷城の築城は15世紀後半、上総武田氏の築城と言われています。
その後、上総に勢力を伸ばした里見実堯(さとみさねたか)が居城とし、以降、里見の水軍の拠点として正木氏が支配しました。
二の郭の発掘調査
昭和55年、56年、64年の発掘調査によって二の郭から石塁、石積み、建物跡が発見されました。
その際に、地下2m下から、岩盤を成形し四脚門と一体化させた虎口と石積みが見つかりました。
現在、虎口は保存のため埋め戻されています。
また、二の郭の大部分には宿泊施設が建設され、残念ながら、跡形もありません。
なぜ虎口が地下深くに眠っていたのか
先に記した通り、虎口は地下2mほどに埋蔵していました。
経年によるものではなく、あえて埋められていたそうです。
里見義康が豊臣秀吉が発した惣無事令に違反したため、小田原征伐の後に上総や下総の領土は没収されてしまいます。
その際、金谷城も接収され取り壊しとなりますが、城全てを破壊するのではなく、堅朗な部分であった虎口が埋められたらしいです。
発掘調査によって出土した品々
発掘調査によって発見された品々は下記。
それらは「TJKリゾート金谷城」館内に展示されていました。
・かわらけ
・天目茶碗
・甕
・磁器
・砥石
・すり鉢など
主郭に良好に残る遺構
主郭には、四つの郭、土塁、堀切が良好な状態で残っているようです。
また、主郭からは東京湾が一望できるそうです。
今回、残念な結果となりましたが、またいつかの主郭特別公開を約束していただけました。
期待して気長に待つ事にします。
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