武将の銅像 | 加藤清正の銅像-3 - 名古屋城三の丸の銅像は熊本城と瓜二つ! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

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加藤清正の銅像-3の紹介です。

 

人物名 銅像設置場所 住所
加藤清正 名古屋城三の丸跡 能楽堂そば 愛知県名古屋市中区三の丸1丁目1

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加藤清正の銅像は、名古屋城三の丸跡の能楽堂そばにあります。

くるまr近辺に有料駐車場があります。

 

秀吉の繁栄とともに出世し、秀吉の加藤清正
加藤清正の母は羽柴秀吉の母・大政所と親戚筋だったため、その縁により幼少より秀吉の小姓として仕えています。
天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにおいて大功を上げ、それにより「賤ヶ岳七本槍」の一人に挙げられ3,000石を与えられます。
天正14年(1586年)、秀吉の九州平定に従軍。
肥後の佐々成政が改易されると、肥後は小西行長と加藤清正に二分され北半国19万5,000石を与えられました。
清正は隈本城に入るとこれに改修を加え、今日ある熊本城を造りました。

秀吉の亡き後の関ケ原の戦いでは東軍につき、九州で西軍と戦っています。
その功により戦後、小西行長の旧領を与えられ、52万石の大名となりました。
晩年は秀吉の子・秀頼徳川家康との和解に尽力し、 慶長16年(1611年)豊臣家の行く末を案じながら世を去りました。

熊本城の銅像と瓜二つはてなマーク
名古屋城の加藤清正の銅像と熊本城の加藤清正の銅像は瓜二つ。
違うのは日輪の前立てぐらい。
これは作者が一緒だから。
名古屋城の加藤清正の銅像は高橋鎮雄さんの作品です。
熊本城の加藤清正の銅像も同じく高橋鎮雄さんの作品です。
原型が一緒なんでしょうね。

 

 

加藤清正の銅像正面から。

 

 

アップ。

 

 

斜めから。

 

 

横から。

 

 

後ろから。陣羽織の感じがいいですね。

 

 

本妙寺公園にある別ポーズの加藤清正の銅像はこちら。

 

 

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