武将の墓 | 島津貞久の墓-3 - 天徳寺跡!薩摩大隅日向の太守に!島津5代 | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るるん♪ 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、島津貞久の墓の紹介です。

 

人物名 墓のある施設 住所
島津貞久 天徳寺跡 鹿児島県日置市吹上町湯之浦

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島津貞久の墓は天徳寺跡にあります。
発見難易度★★☆☆☆
天徳寺跡へは、小さな案内版があります。

くるまr駐車場があります。


室町幕府成立に貢献し旧領を取り戻した島津家5代当主

島津貞久(しまづさだひさ)は、忠宗の子で 島津家5代当主です。
元服し、鎌倉幕府の執権・北条時より偏諱を賜わり、久と名乗りました。
正中2年(1325年)、父の死により家督を継ぎ、島津家5代当主となります。
元弘3年(1333年)、足利高氏(尊氏)の倒幕に同調し、少弐貞経、大友貞宗らとともに鎮西探題を襲撃。北条英時を自害に追い込みました。
その功により、大隅・日向の守護に任じられ、初代・島津忠久(ただひさ)以来の島津家の本貫地を取り戻すことに成功。島津家の領土は薩摩・大隅・日向の三国に戻りました。

伊作最古の寺・天徳寺。廃仏毀釈によって破壊される
天徳寺は、建保元年(1213年)、東福寺として創建された、 伊作地方の最古の寺です。
正中2年(1325年)、伊作島津家3代・親忠は打越城に移り、東福寺を菩提寺としました。
大永7年(1527年)、島津宗家14代・勝久が伊作へ隠居の際、天徳寺へと改名し、以降も菩提寺として栄えました。

しかし、寺は明治の愚行・廃仏毀釈によって廃寺となり、現在では墓以外残っていません。
島津家の墓は貞久の他、貞久夫人(妙栄院)、伊作3代・親忠、今和泉初代・忠氏、親忠の弟・久氏の五基残っています。

※鹿児島県内の廃仏毀釈は徹底的で、県内の全ての寺院が破壊されました。
なので、鹿児島には古いお寺が一切ありません。
残念ですねーショボーン

 

墓へ。

 

 

墓への道。

 

 

島津貞久らの墓。

 

 

島津家の墓。右から宗家5代・貞久、貞久夫人(妙栄院)、伊作3代・親忠、今和泉初代・忠氏、親忠の弟・久氏。

 

 

島津貞久(右)と夫人・妙栄院の墓。

 

 

本立寺跡にある島津貞久の墓はこちら。

 

感応寺にある島津貞久の墓はこちら。

 

 

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