武将の墓 | 上杉謙信の墓-2 - 明静院!謙信の遺言により建立された岩殿山の墓! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るるん♪ 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、上杉謙信の墓の紹介です。

 

人物名 墓のある施設 住所
上杉謙信 明静院 新潟県上越市五智国分2111

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上杉謙信の墓は明静院にあります。
発見難易度★★☆☆☆
本堂の右側奥にあります。

くるまr駐車場があります。


兄から家督を譲り受け越後を統一

上杉謙信は越後守護代・長尾為景の子です。
享禄3年(1530年)生れ。 幼名は虎千代。
天文5年(1536年)、父の隠居により兄の晴景が家督を継ぐと、虎千代は林泉寺に入門し、そこで天室光育(てんしつこういく)の教えを受けます。
天文12年(1543年)、元服し景虎と名乗ります。
天文17年(1548年)、景虎は兄・晴景の養子となり家督を譲り受け、長尾家の当主となりました。
以降、越後国内の反乱分子を順次駆逐し、天文20年(1551年)に越後を統一しました。

関東管領・上杉謙信へ

越後統一後は、武田や北条等、敵対勢力と争いを繰り広げます。
そのさ中の永禄4年(1561年)、山内上杉家の家督と関東管領職を受け継ぎ、上杉政虎と名乗りました。
その後、将軍・足利義から偏諱を賜り、虎と名乗ります。
以降も武田や北条等と争い、時には結ぶなどして、戦いに明け暮れました。
晩年には織田信長旗下・柴田勝家とも刃を交わしています。
天正6年(1578年)、打倒信長の兵を挙げ、京への進軍を開始する間際、春日山城内の厠で倒れ、その後意識が戻ることはなく、巨星は堕ちました。
謙信と名乗ったのは元亀元年(1570年)以降、7年間のことでした。

 

岩殿山の歴史は神話の時代に遡る
岩殿山の歴史は、神話の時代から始まります。
大国主命(おおくにぬしのみこと)が出雲から越の国へと入国し、奴奈川姫(ぬながわひめ)と結婚。
二人は岩戸山(岩殿山の旧称)の岩屋で結婚生活を送り、 建御名方命(たけみなかたのみこと)が生まれました。
由緒ある岩屋内には古来より神社が鎮座していましたが、寛政4年(1751年)の大地震により岩屋が崩壊。
神社は岩屋脇に移されました。
現在は、諏訪神社(祭神:建御名方命)が祀られています。

岩殿山明静院
天平年間(奈良時代)の国分寺建立の際、行基が岩戸山に逗留。
岩戸山の神話に感じ入り、本尊の大日如来像を刻み、「岩戸山妙徳院」を建立しました。
寺は栄え、子院十一坊、越後の真言宗の霊場として栄華を誇ったといいます。
その後、天台宗に改宗し、寺名も「岩殿山明静院」と改名しました。
本尊の大日如来は明治39年に新潟県の国宝一号として指定されています。
(現在は、国の重要文化財)

上杉謙信の墓
上杉謙信は明静院の本尊大日如来に深く帰依し、たびたび明静院を訪れていたようです。
謙信は自分の墓を林泉寺と岩殿山に建立するよう遺言を残しており、ここ岩殿山明静院にも謙信の墓が建立されました。
時代が流れ、謙信の墓は長く所在が分からなくなっていましたが、平成3年の本堂改築の際、梵字が彫られた五輪塔の一部が発見されます。
五輪塔は修復され、現在にいたります。

 

 

明静院へ。

 

 

本堂。

 

 

本堂右わきから上杉謙信の墓へ。矢印は案内板です。
※訪れたのは2014年ですので景色は少し変わっているかもしれません。

 

 

上杉謙信の墓。

 

 

上杉謙信の墓アップ。

 

 

岩屋へ。

 

 

建御名方命誕生の岩屋。
寛政4年(1751年)の大地震により惜しくも崩壊です。

 

 

林泉寺の上杉謙信の墓はこちら。

 

高野山の上杉謙信の霊屋はこちら。

 

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