「武るるん♪ 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」 、武将な寺社街道史跡めぐりの旅、
弘安の役の際、元寇から逃れるため、息を殺して山中の洞窟に身を潜めた・自徳庵のかくれ穴の紹介です。
元寇(蒙古)来襲!元と高麗の悪鬼羅刹の蛮行の前に犠牲となった 対馬・壱岐の英霊たちの悲しき物語ともリンクしていますのでよろしくお願いします。
※なお、対馬・壱岐に訪れたのは2016年です。
写真に写る風景や情報など、少し違っている事があるかもしれません。
史跡名 | ゆかりの武将 | 住所 |
---|---|---|
自徳庵のかくれ穴 | 壱岐の英霊たち、元寇 | 長崎県壱岐市芦辺町住吉前触 |
![くるまr](https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/88449.gif)
島に鬼が来襲。殺戮の限りを尽くす
弘安4年(1281年)5月26日、 元寇は壱岐の勝本港、瀬戸浦から上陸します。
壱岐の守護代・少弐資時(しょうにすけとき)は居城・船匿城から打って出て果敢に立ち向かうも衆寡敵せず、遂に全滅してしまいした。
島を守ってくれる勇者は最早、皆無でした。
以下、現地の案内板より。
老若男女子供の区別なく極めて残酷な方法であったと伝えています。
元軍は武器も持たず、ただ逃げまどう島人を追い求め、容赦なく矢を射かけ、太刀を振りおろし、時にはなぶり殺しを楽しんでさえいたのです。
このように残虐行為をくりかえした元軍が通過したあとは、島人の死体が累々と横たわっていたのです。
かろうじて生き残った人々は、死体を集め、埋葬し、塚をつくりました。
多くの人の死体を埋めたことから、この塚は「千人塚」と呼ばれるようになりました。
…あまりに惨く、言葉になりません。
元寇=【元(現・中国)と高麗(現・北朝鮮、韓国)の連合軍】の一方的で理不尽な侵略によって、いわれもなく有無を言わさず惨殺された島の方々、悔しかったことでしょう。
無念だったことでしょう
どうか、安らかにお眠りください
山の中の洞穴に息を殺して潜む
鬼どもの大虐殺から運よく逃れた島の人々は、ただひたすら逃げ、村を抜け、山に入り込んで、洞穴に身を潜めました。
いつ見つかるかも分からぬ中、生きてる心地はしなかったでしょうね。
物音がするたびに恐れおののき、耳を澄ましながら過ごした時間がどれだけ長く感じたことか…。
島にはこのような「かくれ穴」が点在しています。
自徳庵のかくれ穴
標識(ちょっと分かりづらいです)から山に入って少し歩くと、山の中にかくれ穴がぽっかりと口を開けています。
ここは少しわかりづらいですかね。
道なりに真っすぐ行かずに左手の山の中を探すと穴があります。
今はぽっかりと口を開けていますが、このままでは見つかってしまうので、当時は木や枝で入り口をカモフラージュしていたでしょうね。
今は年月が経ち、穴は半ば埋まっていますが、当時は入れても10人未満ぐらいではないでしょうか。
ホントに山の中に逃げ込んだといった感じです。
ここまで逃げても生きた心地はしなかったでしょうね。
…切ないです
泣けてきます
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