武将の墓 | 鷺沼源太の墓 - 源太塚!謎多き鷺沼城の城主、古墳の上に鎮座す! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)
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鷺沼源太の墓の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅
はお休みです。

人物名 墓のある施設 住所
鷺沼源太 鷺沼城址公園 千葉県習志野市鷺沼1丁目
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鷺沼源太の墓は鷺沼城址公園にあります。
拝観:無料。
発見難易度★☆☆☆☆
鷺沼城址公園の大きな石碑の裏側のこんもりした木々の中にあります。

くるまr駐車場はありません。

古墳の上に鎮座する鷺沼源太の墓
鷺沼源太の墓がある鷺沼城 址公園は、習志野市の桜の名所ともなっています。
この公園には6世紀後半に造られた全長20~25mの前方後円墳が2基あり、うち1基には石棺も残っています。

鷺沼源太の墓は石棺が残っていない方の古墳の上にあり、源太塚と呼ばれています。


3人の源太と源太塚
史料や伝承によると源太という名前の城主が以下の3人がおり、源太塚に祀られる源太さまが誰なのかは分かっていません。

1.
1181(治承5)年、土地の豪族であった鷺沼源太光則(みつのり)は、罪を受けて、船で相模から安房を目指した藤原師経(もろつね)一行を、久々田浦で迎えた。

2.
正応年間(1288~1292)、千葉氏の配下、源太光義(みつよし)という豪族がこの地を治める。
「津田沼町郷土教育資料」

3.
永禄7年(1564年)、鷺沼源太が下総の諸将とともに北条氏康と戦い、敗れる。
「房総里見軍記」

その他、「房房総里見軍記」、「関八州古戦録」などには、鷺沼源太の他、鷺沼源吾、鷺沼七郎兵衛常なる人物も記されています。
数百年の間、鷺沼城を中心に一大勢力があり、鷺沼姓を名乗る一族がいたものと思われます。
ただし、古墳の主の末裔が鷺沼氏であったかは不明です。

鷺沼氏のその後は分かっていません。
主筋の千葉氏の衰退とともに廃れていったものと思われます。


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鷺沼城遠望。


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鷺沼源太満義諸武士之碑。裏には鷺沼源太が里見らと協力し北条氏康と戦ったと刻まれています。
鷺沼源太の墓はこの裏側にあります。


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この鳥居の奥に鷺沼源太の墓があります。


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鷺沼源太の墓。


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アップ。源太宮と刻まれています。


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