城めぐり | 鷺沼城! - 源頼朝が滞在し兵を集結させた鷺沼源太の城! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

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お城めぐりの旅、鷺沼城の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」の史跡めぐりの旅
はお休みです。
 

城名(別名) 住所 関連する人物
鷺沼城 千葉県習志野市鷺沼1丁目 鷺沼源太、源頼朝

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鷺沼城は旧習志野市役所の裏手にあり、現在は鷺沼城址公園となっています。

くるまr駐車場はありません。


桜の時期ですけど今年は自粛ですね。今日は桜の名所のお城のご紹介。
たまにはお城も紹介しないとあせる

古墳がある城
鷺沼城跡は、鷺沼城址公園と呼ばれ、習志野市の桜の名所ともなっていますが、城の遺構は残念ながらまったく見当たりません。
しかし、この公園には6世紀後半に造られた古墳が2基あり、かつてこの地に力のある豪族がいたことは間違いありません。
古墳は全長20~25mの前方後円墳です。
2基のうち、1基は石棺も残っています。

「吾妻鏡」に記された鷺沼城
治承4年(1180年)10月、石橋山の合戦で敗れ安房国に逃れた源頼朝が、上総の上総広常や下総の千葉常胤などの力を借り、兵を集めながら鎌倉へと入りますが、その途中、鷺沼へ逗留したという記述が歴史書「吾妻鏡」に記されています。
「吾妻鏡」には、
「石橋において合戦のとき分散さしむるの輩、今日多く以て、武衛(頼朝のこと)の鷺沼の御旅館に参向す」(10月1日)
とあり、鷺沼に逗留する源頼朝のもとに石橋の合戦で散々になった侍たちが続々と集まってきた様子が見てとれます。
この文中の「鷺沼御旅館」こそ鷺沼源太の治める鷺沼城ではないかと言われています。
翌10月2日には隅田川を渡っていますので、地理的に見ても「鷺沼御旅館」=現在の千葉県習志野市鷺沼であったことに間違いはないと思います。

また、江戸時代の書「相馬日記」に、旅の途中、鷺沼を通った様子が記されており、
「鷺沼は鎌倉の二品(頼朝のこと)の暫し陣所とせられし里にて、昔はさるべき大沼ありけんに今は形ばかり残れるも見えず」とあり、昔から鷺沼に頼朝が滞在したことは広く知られていたようです。

3人の源太と源太塚
鷺沼城址には源太さまの墓 とされる源太塚があり、大切に祀られています。
しかし、史料や伝承によると源太という名前の城主が3人がおり、この源太さまが誰なのかは分かっていません。

1.
1181(治承5)年、土地の豪族であった鷺沼源太光則(みつのり)は、罪を受けて、船で相模から安房を目指した藤原師経(もろつね)一行を、久々田浦で迎えた。

2.
正応年間(1288~1292)、千葉氏の配下、源太光義(みつよし)という豪族がこの地を治める。
「津田沼町郷土教育資料」

3.
永禄7年(1564年)、鷺沼源太が下総の諸将とともに北条氏康と戦い、敗れる。
「房総里見軍記」

その他、「房総里見軍記」、「関八州古戦録」などには、鷺沼源太の他、鷺沼源吾、鷺沼七郎兵衛なる人物も記されています。
数百年の間、鷺沼城を中心に一大勢力があり、鷺沼姓を名乗る一族がいたものと思われます。
ただし、古墳の主の末裔が鷺沼氏であったかは不明です。

鷺沼氏のその後は分かっていません。
主筋の千葉氏の衰退とともに廃れていったものと思われます。
なお、江戸時代の鷺沼は旗本・大久保氏300石の領地でした。
この大久保氏は武田家に仕え、滅亡後に徳川家に仕官したようです。

鷺沼城の遺構はなにもなしはてなマーク
習志野市役所の方にも聞いたんですけどね、遺構と呼べるものは何もないそうです。
昭和41年(1966年)に古墳をメインに調査した際も中世の遺構や遺物は発見されなかったそうです。

…とはいえ、城らしさは見てとれます。
ここが城と言われれば城であったような気がする地形です。

城の遺構かもと思われる箇所
・城内に残る土塁らしき地形
・西側の切岸のような地形
・西側にある馬場のような地形
・川沿いの入り江にあったであろう地形(今は川はありません)

 

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城址公園入口。


 

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咲き誇る去年の城址公園の桜。


 

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この家屋の中に石棺があります。


 

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1基のみ残る石棺。


 

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城址公園の図。水色に塗った箇所(遊歩道。城の西側)はかつて川でした。


 

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鷺沼源太の墓。


 

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鷺沼源太満義諸武士之碑。裏には鷺沼源太が里見らと協力し北条氏康と戦ったと書かれています。
でも年代違ってるんだよな~。


 

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土塁かもしれないはてなマーク地形。


 

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城の西側は切岸のようにも見えます。


 

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城の西側(現遊歩道)はかつて川でした。


 

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城の西側にある馬場のような広場。


 

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鷺沼城遠望。



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