武将の墓 | 山中鹿介の墓-2 - 斬殺の地に建つ悲しき墓標! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、
斬殺の地に建つ山中鹿介の墓その2の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅
は少しお休みです。
 

人物名 墓のある施設 住所
山中鹿介 川のほとり 岡山県高梁市落合町

誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(_ _ )m
スマホで地図が表示されない場合、一度前の記事に戻ってもらい再度次の記事を読み込みすると表示されるようです。

山中鹿介の墓はローソンの裏側にあります。
拝観:無料。
発見難易度★★★☆☆

くるまr駐車場はありません。


尼子家再興のために生涯をかけるも毛利のだまし討ちにあい命を落とす
山中鹿介(やまなかしかのすけ。鹿之介・鹿之助と記すこともあり)は、尼子家再興のために僧籍にあった尼子勝久を還俗させて主君と仰ぎ、毛利との戦いを繰り広げました。
織田信長の参加に入った後は中国地方を転戦し、羽柴秀吉の毛利征伐が決まると、その先鋒として上月城に入りました。
しかし、信長勢が他勢力との戦いのために一時中国地方から兵を引いたため、上月城は孤立してしまい、尼子勝久は自害して果てました。

鹿介は尼子家再興の志を捨てず、主君とともに自害はせずに降伏という道を選びます。
しかし、毛利輝元の元へ送られる途中、だまし討ちに合い、夢を果たせないまま生涯を閉じます。


斬殺の地に建つ墓
墓は、山中鹿介がだまし討ちにあった高梁川のほとりに建てられています。
墓は1713年に建立されました。

 

hakak_sikanosuke_zansatunoti01
墓全景。


 

hakak_sikanosuke_zansatunoti03
山中鹿介の墓。


 

hakak_sikanosuke_zansatunoti02
山中鹿介はこの川辺あたりでだまし討ちにあい斬殺されました。



武将の墓めぐり TOPページへ戻る
日本全国の武将の墓を紹介しています。
 

アメブロ以外の方のご意見・ご質問等はこちら まで。
※返信までに時間を要する場合、お答えできかねる場合もございます。ご了承ください。

ライン宣伝07 ラインスタンプ作りました。
喜怒哀楽を兜の前立てで表現した可愛い「武将の日々と日常なサムライスタンプ」
かわいい「たぬきサムライのスタンプ」などなど。
気に入ったら使ってくださいね。よろしくお願いします。
スタンプはこちらから。

ブログランキングへ参加中です。ご協力お願いしますm(_ _ )m
パクリはやめましょう!
このブログの記事や画像の無断使用、転載は絶対やめてくださいね。
まとめサイトとかもダメです!
ご用の際はこちら まで。

この記事作るのにいろんな史料を調べたり、現地に行って写真撮ったり、時間・お金がたくさんかかってます!
ズルしちゃだめですよ。

© 2010-2023 siro-sengoku-bushou.