武将と姫の墓 | 支倉常長の墓 - 伊達政宗の命を受けヨーロッパへと旅立った男! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将と姫の墓めぐり、
支倉常長の墓の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅
は少しお休みです。

人物名 墓のある施設 住所
支倉常長 光明寺 宮城県仙台市青葉区青葉町3−1

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支倉常長の墓は光明寺にあります。
発見難易度★★☆☆☆
案内板があります。


政宗の命によりヨーロッパへ旅立つ
支倉常長(はせくらつねなが)は伊達政宗の家臣です。
ヨーロッパとの通商、あるいは同盟等を目的とし、野望を持った政宗の命を受けヨーロッパまで渡航しました。
常長は長い航海の末、ローマへとたどり着き、教皇に謁見して貴族に列せられました。

日本へと戻ったのは1620年でしたが、その間に日本の情勢は激変し、南蛮への締め付けが強くなっていました。
そのため、晩年は不遇の人生を送りました。

支倉常長の墓の隣には、常長と共に日本から旅立ち長旅をしたルイス・ソテロの墓があります。
ソテロはキリスト教禁教下の日本での布教があきらめられず、日本再潜入を試みますが、1622年に捕らえられ、1624年長崎で火刑に処せられてしまいました。

 

山門。

 

 

本堂。

 

 

支倉常長の墓へ。

 

 

支倉常長の墓。

 

 

常長の墓の隣にあるルイス・ソテロの墓。

 

 

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日本全国の武将と姫の墓を紹介しています。
 

 

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