古戦場めぐりの旅 | 鞍懸!土屋惣蔵、敵前逃亡の長坂釣閑斎を追う!釣閑斎の最期は? | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」 古戦場めぐりの旅、
鞍懸の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」の史跡めぐりの旅
ともリンクしていますので、よろしくお願いします。
 

古戦場名 ゆかりの武将 住所
鞍懸 土屋惣蔵、長坂釣閑斎、安西平左衛門、武田勝頼 山梨県甲州市大和町初鹿野

誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(_ _ )m

スマホで地図が表示されない場合、一度前の記事に戻ってもらい再度次の記事を読み込みすると表示されるようです。

鞍懸は国道20号線沿いにあります。
くるまr駐車場はありません。


長坂釣閑斎、敵前逃亡ビックリマーク土屋惣蔵が追うビックリマーク
「武田三代軍記」によりますと、3月9日夜、小山田信茂は武田勝頼を裏切り、城戸虎口より鉄砲を撃ちかけてきました。
詳しくはこちら。
これにより700余りいた勝頼の家臣は、討ち死に、あるいは逃亡をし、わずか43人になってしまいます。
その際に、長坂釣閑斎(ちょうかんさい/光堅)、跡部大炊助(勝資)も逃げ去ったようです。
勝頼は土屋惣蔵(昌恒)、安西平左衛門に追討を命じ、土屋惣蔵は跡部大炊助を討ち取りますが、長坂釣閑斎は運よく逃げ去りました。


史料によって異なる長坂釣閑斎の最期
長坂釣閑斎の最期は、各史料によって異なっています。
以下、要約抜粋。

「武田三代軍記」
勝頼は土屋惣蔵(昌恒)、安西平左衛門に追討を命じる。土屋惣蔵は跡部大炊助を討ち取る。長坂釣閑は逃げ去る。
その後の消息は不明です。

「甲乱記」
甲州古府中(躑躅ヶ先城)にて生害の衆~長坂釣閑斎、長坂筑後守(昌国、釣閑斎の子)その他○○は所々で討ち取られる。
鵜や鷹の餌を打つように討ち殺されたが、一人の敵も殺せず骸骨を路径に曝して嘲哢を末代に残した。

「三河後風土記」
長坂釣閑親子は一条の屋敷で討ち取る。

「甲陽軍鑑」
長坂釣閑親子は一条の屋敷で討ち取る。

「信長公記」
勝頼とともに田野で討ち死に。


…以上のようにまちまちです。
「信長公記」のみが長坂釣閑斎は逃亡せず最期まで勝頼に従った。となっています。
長坂釣閑斎は不忠者だったのか、それとも忠臣だったのでしょうかはてなマーク

長坂釣閑斎、敵前逃亡ビックリマーク土屋惣蔵が追うビックリマーク
さて、再び「武田三代軍記」にもどります。
「勝頼は土屋惣蔵(昌恒)、安西平左衛門に追討を命じ、土屋惣蔵は跡部大炊助を討ち取るが、長坂釣閑斎は運よく逃げ去った。」
と、ありますが、
おそらくその際、土屋惣蔵と長坂釣閑斎が戦った場所が、今回紹介する鞍懸のあたりであると思われます。
以下、案内板より。

「この地は逃亡する家臣長坂釣閑が土屋惣蔵に追われ、落ちた馬の鞍が路傍の桜の木にかかっていた所と云われています。」

 

kurakake06
鞍懸。土塁上の左スミに立っている白い柱( 赤矢印)が案内板です。


 

kurakake03
鞍懸の案内板。これ、見落としやすいです。車で行かれる方はわき見運転に気を付けましょう。


 

kurakake04
鞍懸の案内板近辺。釣閑斎はこの丘あたりを馬で掛けたんですかね 馬


 

kurakake02
鞍懸から勝頼の陣方面を見る。こっちから土屋惣蔵が追い掛けてきたんですよー ビックリマークなんかワクワクヽ(^。^)ノ。




戦乱の旅 TOP へ戻る
 

アメブロ以外の方のご意見・ご質問等はこちら まで。
※返信までに時間を要する場合、お答えできかねる場合もございます。ご了承ください。

ライン宣伝07 ラインスタンプ作りました。
喜怒哀楽を兜の前立てで表現した可愛い武将のスタンプ、かわいいたぬきサムライのスタンプなどなど。
気に入ったら使ってくださいね。よろしくお願いします。
スタンプはこちらから。

ブログランキングへ参加中です。ご協力お願いしますm(_ _ )m
パクリはやめましょう!
このブログの記事や画像の無断使用、転載は絶対やめてくださいね。
まとめサイトとかもダメです!
御用の際はこちら まで。

この記事作るのにいろんな史料を調べたり、現地に行って写真撮ったり、時間・お金がたくさんかかってます!
ズルしちゃだめですよ。

© 2010-2022 siro-sengoku-bushou.