「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」
お城めぐりの旅、躑躅ヶ崎城の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」の史跡めぐりの旅
ともリンクしていますので、よろしくお願いします。
城名(別名) | 住所 | 関連する人物 |
---|---|---|
躑躅ヶ崎城(躑躅ヶ崎館、武田氏館) | 山梨県甲府市古府中町 | 武田信虎、武田信玄、武田勝頼、長坂釣閑斎、跡部大炊助、秋山摂津守、武田信豊、織田信長、河尻秀隆、徳川家康 |
城跡は現在、武田神社となっています。
駐車場があります。
100名城スタンプは武田神社宝物殿にあります。
9:30~16:00
躑躅ヶ崎城は、永正16年(1519年)に武田信虎によって築かれました。
信虎は武田家の本城を川田館から躑躅ヶ崎城へと移し、以降、信玄、勝頼と続く武田家の本城となりました。
躑躅ヶ崎城周辺には家臣団の屋敷が立ち並び、詰めの城としての要害山城も造られました。
躑躅ヶ崎城は質素でよいと考えた信玄
武田信虎から家督を引き継いだ信玄は領土を拡大していきますが、依然として本城は躑躅ヶ崎城で、その規模も拡張は図りませんでした。
そんな信玄の考えが「甲陽軍艦」に記されていたので要約し抜粋。
信玄は甲州一国の内に城の普請をしなかった。
城の構えといえば、一重の浅く狭い堀を掘ったのみである。
ある日、家老衆が寄り集まって信玄に躑躅ヶ崎城は小さく粗末過ぎるのではないかと意見した。
信玄は言う。
よく考慮せよ。
国持ちが城へ籠って運を開くことはまずない。
それよりも、主持ちの侍が援軍を頼みとし堅固な城を築くことが重要である。
三ヶ国を領する大将が大きな城に籠れる大軍を持っていたならば、敵と接する国境で勝利するのが当然である。
それが出来ぬ輩は堅固な城に籠っても矢鉄砲の間をかいくぐり妻子を捨てて逃げるのがおちだ。
大将たるものは兵を尊敬して、法度・軍法を定め、日々戦の事を考えることの方が城の普請よりもはるかに大切なことである。
…う~ん、なかなかカッコいいこといいますね。信玄は最前線の地、要所では堅固な城が必要だが、自領内の城は質素でいいという考え方なんですね。
この考え方に反して新しい城を築いたのが子の勝頼です。
勝頼は、「甲陽軍艦」によりますと、
甲州一国のうちによい城がなく、躑躅ヶ崎城は堀一重の屋敷構えでしかない。
といっています。
それに同調し、
長坂釣閑斎、跡部大炊助、秋山摂津守、典厩信豊までもが口を揃えて、こればかりは信玄公のお誤りであった。
といっています。
で、新府城 を築くんですね。
徳川時代には天守も築かれる
武田家滅亡後は織田信長の家臣・河尻秀隆が入ります。
本能寺の変後は徳川領となり、城域は拡張され天守閣も築かれました。
※天守閣の詳細は不明です。
信玄の考えかたとは真逆なんですね(笑)
天正18年(1590年)に甲府に城が築かれると甲斐の中はが甲府へと移り、躑躅ヶ崎城は廃城となりました。
徳川時代に改修されていますので、現在残る石垣等の遺構は武田氏のものではなく徳川時代のものなのでしょうね。
大正4年(1915年)、武田信玄を祭神とした武田神社が建立されました。
甲州征伐時の躑躅ヶ崎城、武田勝頼編
甲州征伐の際の武田勝頼ですが、新府城を焼き捨て岩殿城を目指す 途中に躑躅ヶ崎城に立ち寄っています。
しかし、躑躅ヶ崎城は新府城完成の後に破却されてしまったようで、住み慣れた城内御殿で休息をとる事は出来ませんでした。
「三河後風土記」によると、
古府(躑躅ヶ崎城)はおおよそ破却して住居すべきところもなければ一条右衛門太夫信龍の屋敷へしばらく足を休めたり。
と記されています。
「信長公記」にも、
かつて住み慣れた古府(躑躅ヶ崎城)にも落ち着けず、名残を惜しみつつただちに出立。
と記されています。
甲州征伐時の躑躅ヶ崎城、織田信長編
織田信長は甲州征伐により武田家を滅ぼしたのち、諏訪に息子・信忠を残し、先に帰国の途につきます。
武田領への侵攻ルートは、安土→岐阜→岩村→飯田→高遠→諏訪と岐阜県から長野県へと入るルートでしたが、
帰りは→甲府→その後南下し中道往還を通り→富士川を渡って東海道を西上するというルートを選んでいます。
その際に信長は一週間ほどこの躑躅ヶ崎に滞在しています。
武田勝頼が立ち寄った際には破壊されていた館でしたが、信忠が整備し直し、立派な仮御殿を建てて信長をもてなしました。
…さて、登城レポです。
縄張図を見限りここに虎口はありませんので、神社創建時に造られたものでしょうかね。
武田時代はここに三日月堀がありました。
また、茶を点てる際にも使用されました。
味噌曲輪以降は、その2 で紹介します。
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