武将な寺社めぐり | 諏訪大社上社本宮!武田領に攻め込んだ織田軍が焼き討ち(甲州征伐 | 地図付 | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)
「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」 武将な寺社街道めぐり、
諏訪大社の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」の史跡めぐりの旅ともリンクしていますので、よろしくお願いします。

史跡名ゆかりの武将住所
諏訪大社上社本宮織田信忠、織田信長、武田信玄、武田勝頼、徳川家康、坂上田村麻呂、源頼朝、諏訪頼忠、大久保長安など長野県諏訪市中洲神宮寺
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諏訪大社上社本宮は諏訪湖周辺に鎮座している諏訪大社のうちの一社です。
くるまr駐車場があります。

諏訪大社は、日本全国の諏訪神社の総本社です。
諏訪湖周辺に上社本宮、上社前宮、下社秋宮、下社春宮の4か所があり、それらを総称して諏訪大社といいます。
なお、上社、下社に社格の序列はありません。
古くは坂上田村麻呂源頼朝などに信仰され、戦国時代には武田信玄の庇護を受けています。

織田信忠に焼き討ちされ灰燼に帰すビックリマーク
仁科盛信(信盛)の守る高遠城を落とした翌日の3月3日織田信忠は上諏訪方面へと進軍し、諸所を焼き討ちします。
武田の信仰深い諏訪大社上社もその対象で、信忠は徹底的な破壊を命じました。
その様子は`信長公記’に以下のように書かれています。
「諏訪大明神は、日本無双の霊験殊勝、七不思議、神秘の明神なり。神殿を初め奉り、諸伽藍悉く一時の煙となされ、御威光、是非なき題目なり」
訳:「諏訪大明神は、日本に二つとない霊験あらたかで不思議で神秘的な明神である。しかし、本殿をはじめ、伽藍は悉く一時の煙となった。その威光をもってしても仕方のないことであった」

織田信忠によって灰燼と帰した諏訪大社上社のすぐ隣の法華寺は、甲州征伐の後に織田信長が入り論功行賞を行った場所です。
明智光秀を折檻したというエピソードは有名ですよね。
法華寺についてはこちら。

諏訪大社上社は信長の死後の天正12年(1584年)、諏訪頼忠によって再興されました。


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境内図。



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神紋。


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四脚門。
慶長13年(1608年)徳川家康大久保長安に命じて造らせました。



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神楽殿。



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拝殿(国重文)



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勅願殿。
元禄3年(1690年)建立です。


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武将が祀られた寺社。武将の生まれた地に建つ寺社、武将が滞在した寺社、祈願所とした寺社、寄進や造営した寺社、禁制を出した寺社武将ゆかりの品々が残る街道や宿場町、史跡などなど…。
そんな寺社、街道をめぐる旅です。

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