「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本を教科書にして、

引き寄せの法則についてまとめてきました。

次のステップとして、

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本があるので、こちらをご紹介したいと思います。

こちらの記事では「健康を維持する方法」という箇所をご紹介しています。

 
エイブラハムが教える引き寄せの法則について書いた記事は、
下記になります。
 
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著) より
 
「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
 
 
先週末から今週にかけて息子が熱を出して休んでいました。
娘の文化祭もあってバタバタしている中で、
家庭内で風邪(受診していないので恐らく)が蔓延してしまったら、
という心配はありましたが、
私と娘が少し微熱かなという日があったくらいで、
息子も治癒し乗り切りました。
 
息子の体調不良がすごく多いのですが、
一緒に研究している先輩との関係がストレスらしく、
それが原因になって身体に影響している、
と感じています。
 
ここのところ自己愛性パーソナリティ障害の情報収集を、
ツイッターで行なっていますが、
やっぱり特定の人をターゲットにして、
搾取してくるタイプの人はどこにでもいて、
息子の様なアスペ
(近年はASDですが、診断を受けたのは昔なのでそのまま使ってしまう)は
絡まれやすいです。
 
私としては、息子は何でも引き受けてしまって、
手を抜くことが出来ないからきっちりやってしまう、
断ることが出来ないという面で、
自分の首を絞めている部分があるので、
本人は辛いだろうけれども、
その先輩で練習して自分なりの方法を模索して欲しいなと思っています。
相談されたらアドバイスはするんだけど、
本人が実践しながら覚えて行くものなので、
見守るしかないです。
 
私自身は、やっぱり心の問題が身体に影響しているな、
というのを実感しています。
スピ的に見ても自己愛様はエネルギーバンパイアなので、
相手を気に掛ける、関心を向けることで、
エネルギーを与えて、自分の方が枯渇してしまうので、
病気になりやすくなってくるんですね。
 
私もずっとツイッターでストーカーに張り付かれていますが、
自分の心の状態はよく観察するようにしています。
 

「内なる存在」とは、
あなたがたが何千回も生きるなかで
進化し続けてきた「源(ソース)」
の部分のことだ。

そして、変化したり仕分けしたりするという
経験の一つで、あなたがたの「源(ソース)」は
選択肢のなかでいちばん明るくていい気分を常に選んできた。

つまり、あなたがたの「内なる存在」は
永遠に「愛」「喜び」「すべてのよいもの」
に自分を調和させている。

だから、あなたがたは人や自分を愛するほうが、
欠点を見つけるよりも楽しい。

楽しいというのは、「源(ソース)」と調和している証拠だ。

「源(ソース)」と調和しない思考を選ぶと、
不安や怒りや嫉妬などの感情が起こる。

こういう感情はあなたの波動が、
「源(ソース)」とずれている証拠だ。

「源(ソース)」は決してあなたを裏切らず、
常に幸福の波動を送って来る。

だから、ネガティブな気分になったら、
それはあなたが「源(ソース)」や
「幸福の流れ」へのアクセスを阻んでいるということだ。

身体や人生、仕事、かかわりのある人々について、
明るくていい気分になるストーリーを語れば、
あなたのほうへいつも流れている「幸福の流れ」と
つながっていられる。

そして、願うことにピントを合わせ、
明るくていい気分でいれば、
世界を創造しているパワーにアクセスして、
そのパワーを望みの実現へと向けられる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

 
”だから、あなたがたは人や自分を愛するほうが、
欠点を見つけるよりも楽しい。”
とあると、誰かを嫌いになっちゃいけないのか?
と考えてしまいますが、
嫌いだなと考えて嫌な気分であるなら、
望まないことを考えている、
「源(ソース)」と調和していないということですよね。
 
”楽しいというのは、「源(ソース)」と調和している証拠だ。
「源(ソース)」と調和しない思考を選ぶと、
不安や怒りや嫉妬などの感情が起こる。
こういう感情はあなたの波動が、
「源(ソース)」とずれている証拠だ。”
とありました。
 
相手を好きにならなきゃいけないのではなくて、
自分の幸せを阻んでいる思考なんだ、
ということなんですね。
これは大事で、相手が可哀想とかそういう話ではないです。
 
”身体や人生、仕事、かかわりのある人々について、
明るくていい気分になるストーリーを語れば、
あなたのほうへいつも流れている「幸福の流れ」と
つながっていられる。
そして、願うことにピントを合わせ、
明るくていい気分でいれば、
世界を創造しているパワーにアクセスして、
そのパワーを望みの実現へと向けられる。”
とあり、
好きにならなくてもよくて、
あの人はあの人のままでいいんだよね、
という感じで肯定して受け入れることが出来れば、
それほどストレスに感じないと思います。
自分が幸せになる為に、自分を害している思考をやめて、
望んでいる方に転換しよう、ということを意識していきましょう。
 
 
ジェリー 重大なけがも病気と同じやり方で
創造されるのですか?
そして思考を通じて解決できるのでしょうか?
それとも長い思考の流れから生じるのではなく、
一瞬の事故で何かが壊れるようなものですか?

エイブラハム 一瞬の事故によるけがも、
ガンのような病気による傷害も、
どちらも思考を通じて生み出される。
そして、治癒も思考を通じて実現する。

いつも明るいことを考えていれば体調はいいし、
いつもストレスになる恨みがましいことや、
憎悪や不安をかきたてることを考えていれば、
病気が促進される。

結果が(転んで骨折するというように)
突然現れるように見えても、
(ガンのように)ゆっくり現れても、
人生は常に思考の波動と合致している。

骨折でも内臓の病気でも、いったん体調が悪くなると、
「内なる存在」と合致した明るくていい気分になる思考を
すぐに見いだすわけにはいかないだろう。

言い換えれば、
事故や病気の前に「健康」と調和した思考を
選んでいなければ、
不調や苦痛や恐ろしい診断にぶつかったとき、
直ちにその調和を見いだすことはできない。

ほどほどの健康から素晴らしい健康を達成するほうが、
ひどい体調不良からいきなり素晴らしい健康を実現するより
ずっとたやすい。

だが、人生の望まない側面から関心を引き離して、
もっと明るい側面にしっかりと焦点を定めることさえできれば、
いつだって今いる場所から望む場所に行くことができる。

問題は何に焦点を定めるかだけなのだ。

恐ろしい診断や重大なけがが強力な触媒となって、
明るくていい気分になることに
しっかりと関心を向けようという気になる場合がある。

実際「意図的創造」の優れた学習者のなかには、
恐ろしい診断を受け、
もう手の施しようがありませんと
医師に告げられて、(ほかに選択肢がなくなり)
今では意図的に思考の焦点を定めている
という人たちがいる。

興味深いことに、ほかに選択肢がなくなるまでは
本当に効き目があることを実行しない人が多い。

あなたがたが行動志向の世界に順応していて、
行動こそ最初で最善の選択肢だと思っていることは
わたしたちも理解している。

わたしたちは行動するなと言っているのではなく、
まず明るくて気分のいい思考を見つけ、
それから思いつく行動をしなさいと勧めているのだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)
 
いよいよ病気やケガの原因にフォーカスした教えになってきました。
これを受け入れるのが難しい人もいるかもしれません。
私の場合は普段の生活から
自分の感情とその結果の関係を観察する様になってから、
本当にそうだという実感を得ました。
 
他者へ怒りを感じている時ほど火傷が多いとか、
イライラしていると怪我が多いとか、
必ず関連しているなと思います。
 

「療法の真義」(M・ドーリル博士著)から下記をご紹介しています。

 

「この様な世界情勢の中で、特に我々の敵に対して、

我々はどの様な態度をとるべきか」

と問われた時には、わたしはいつも、

次の様に答えているのは、

上述の様なこともその理由の一つなのである。

「我々は、冷静で、

心的均衡の内に自分がなさねばならない

不愉快な任務(戦争従軍等)を

果さねばならないことを認めねばならない。

しかし、その任務の遂行に当っては、

いかなる憎しみも怒りの意識も持たずに果さねばならない。

もし、我々が心の中に怒りや憎しみの心を持って従事したなら、

我々は、自分自身をネガテブ状におくことになり、

それと同様なネガテブの状が自己の肉体に、

自己の心に、自己の環境に受ける様になるのである」

だから、次の言葉よりも真実はないのである。

”誰も、自分が最初に肥沃な地に、

それが自分自身におこる様に創造し、

物事が自分自身におこらない前に

同様な状況を心的につくらない限りは、

自分の人生に何も表われることがないのである”。

このことは、我々の想念において、

我々の人生行動において本当に真実なのである。

 

「療法の真義」(M・ドーリル博士著)

 

結果として何かしら不都合なことが起こった時は、

その前にそうなる原因があるよというのが宇宙法則です。

法則なので例外はありません。

 

また、下記もご紹介しています。
 

この世の中には、偶然とか奇跡とかは存在しないのである。
治すことの出来ない病気が存在するなんてことは、

わたしは信じない。

しかし、現実には、不治の病いの人々が多くいる。

それは、その人々が本質的に

ネガテブな何かにしがみついており、

それがその人々を不調和の状に縛りつけていて、

その不調和を変換しようとする

調和のバイブレーションをはね返すのである。

こんなわけだから、我々は、どんな小さいことだろうが、

大きいことだろうが、

いつもいつも、週日も日曜も、毎日毎日を

調和の状で過ごさねばならないと言う理由なのである。

我々が大なることを一つだけ調和的に処理しては、

善悪が中和してしまうのである。

聖なる法則からの観点では、

小さいこととか大きいこととかの差別はないのである。

聖なるものが関する限りでは、

小さいことは、大きいことと同様に有用なことなのである。

ここに別のことが一つある。

それは、我々が何かをなして、

それを自慢し歩けば、我々自身の内では、

その霊的効果を全く否定してあるくことになるということである。

治療の基本原理は、

我々自身の中に調和の状を確立することなのである。

我々自身の中に調和がなければ、

他人を治療することが出来ないのである。

もし、我々の内に不調和やネガテブがあれば、

我々はそれをまわりのすべてに放射し歩くものだから、

接する人々にそのネガテブと不調和とをもたらすのである。

我々のなすことは、我々自身に影響を及ぼすだけでなく、

我々のまわりの人々にもかかわりを及ぼすのである。

ネガテブの想念というものは、

世界の人々と我々の環境とに

いかに多くの悪念となるものであるかを

我々はよく分っていないのである。

もし、我々が街の中で人に会い、

その人が誰彼の別なく近づいて行って

ぶんなぐっているということを想像すると、

恐怖感におそわれる。

しかし、我々がネガテブ想念をもつ毎に、

我々が人々を誰彼のみさかいなしに

ぶんなぐっているのより悪いことをしているのである。

我々がネガテブ想念をもっているのである。

我々がネガテブ想念をもつことによって、

他の人々の人生により多くのネガテブの因となるのである。

 

「療法の真義」(M・ドーリル博士著)

 

全ての病気やケガの原因も、

あらゆるネガティブな出来事の原因も、

私たちのネガティブな想念の結果だということです。

 

”しかし、我々がネガテブ想念をもつ毎に、

我々が人々を誰彼のみさかいなしに

ぶんなぐっているのより悪いことをしているのである。”

という箇所は本当にしっかり自覚しなくてはいけないなと、

何度も読み直しています。

感情は目に見えないので、無頓着になってしまいますが、

いずれ身体の病気やケガなどとして表出してきます。

 

そうなってしまった時には、

物理的な対処が必要になりますが、

それで終わりにしないで落ち着いたら、

じっくり内観することをオススメします。