霊的な学びを進めていくとぶつかる壁、

傲慢さの克服について書いています。

 

 
スピリチュアルな知識を得ると、
他の人より、自分は凄いと優越感を持ったり、自慢したり、
偉いんだ、特別なんだ、という傲慢さが表れてきます。
 
この傲慢さを克服していない状態は、
誰かを攻撃したり、批判したり、
自分を特別な存在として正当化させるために、
馬鹿にしたり、揚げ足を取ったりします。
 
これは鏡なので、
自分では気付かない欠点を、
他人の中に見つけて、その人を攻撃しているのです。
また、その欠点を誰かに指摘されると、
酷くショックを受けます。
 
傲慢さを克服出来ないと、学ぶことも出来ません。
自分が上に立っていると思っているなら、
それより上がることは出来ないですよね。
 
もし本当にその人自身が進化しているというのであれば、
見下すという様なことはしません。
自分もかつてはそうだったなと思い、
相手を尊重し思いやりをもって見ることが出来ます。
 
こういう説明をすると、
例えば他の人を害する様な人を、
親やきょうだいのように温かく見守るなんて、
とても出来そうにないと感じたりすることがあります。

どうしても許せない、

どう考えても相手の方が悪いと、非難したくなるのです。

 

 

「もどってきたアミ」(エンリケ・バリオス著)には、以下の様な場面がありました。
 
ビンカがそれに異議を唱えた。

「でも、テリはほんとうに非難されるべきよ。
わたしたちスワマはただ平和に暮らすことだけを
望んでいるっていうのに、
彼らの野心やエゴや暴力や不正のせいで、
キアは破滅寸前だわ。
どうしてそれを非難することがいけないことなの?
それともほめてやれとでも言うの?」

「テリや精神的虚栄心をもっているひとは、
完成の過程において、
上のほうにも下のほうにも多く見かけられる。
われわれはみな、人生という名の学校の生徒だ。
もし新しい世界をつくりたいなら、
過去のあやまちを罰することをしていないで、
新しいよりよい解決法を提出して、
実現のために戦うべきなんだ。
こうやって救済された世界がすべて
”親交世界”に入ってこられる。
でも、たぶんビンカにとっては、
テリをキアから消してしまったほうが
ずっとなっとくできることなんだと思うけどね、
そうだろう?ビンカ」
とアミは笑って聞いた。

ビンカはアミに自分の考えていた本音を
見すかされて赤面した。

「また別の”目には目を”だ」
とアミが笑って言った。

ビンカは抗議して言った。
「でもテリがいるかぎり、平和な世界はつくれないわ。
彼らがそんなことを許さないし、
不正なひとがたくさんいるかぎり、
正当さを土台にした社会なんかつくれっこない」

ビンカのはげしさは逆にアミの笑いを誘った。

ぼくは彼女のたくさましさに感心した。
こうやって少しおこっているビンカもまた、
かわいいと思った……。

「キアは地球とおなじくちょうど第三から第四の進化水準に
うつり変わる時期にある」
とアミ。

彼のお父さんが話をつづけた。

「第一水準の世界というのはまだ生命がたんじょうしていない。
第二水準はもう生命はたんじょうしているけど、
人類はまだいない。
第三水準になって、人類があらわれる。
この水準がいま、きみたちのいる世界だ」

「じゃ、第四水準ってどんななの?」
とぼくは聞いた。

「その世界では、人類は統一されて
ひとつの大きな家族をつくり、
宇宙の原理にそってみんなで生きていく。
でも、すべての世界がここにいたる試練を、
うまくくぐりぬけられるわけじゃない。
それをこころみるとちゅうで自滅してしまう世界も
少なくないんだ」

「なんの試練?」

「第四水準に入るために、それぞれの世界の人類が
乗りこえなければならない試練だよ。
あるひとたちは、その試練を
くぐりぬけることができるけど、
別のひとたちには、くぐりぬけられないように
できている。
それはひとつの選択であり、淘汰なんだよ」

「それとテリみたいな
不正なひとたちといっしょに、
平和な世界をつくることは
不可能だってことと、
どういう関係があるっていうの?」

「ひとつの惑星が、
ある段階からその上の段階にうつろうと
こころみるたびに、それ以前には
まったく知られていなかった
現象がひき起こされるんだよ」
とアミが話しはじめた。

「それはちょうど世界全体をゆさぶるような、
あくびをして伸びをするような感じだ。
それが新しい、
よりせんさいで高いエネルギーと振動を生み、
これらの放射がさらに二重の効果を生む。
ひとつはあるひとたちを狂気におとしいれる。
低い進歩過程にいるひとたちは
最終的にいのち取りになるようなミスを犯す。
ネガティブなひとたちは、こうして自滅していくんだ。
また、一方ではこの新しいネエルギーは
上の水準へのぼることを可能にしてくれる。
それは、自分の進化にそぐわなくなった、
有益でなくなった自分の子どもたちを
惑星が手ばなすようなものだよ。
あの巨大な恐竜や食肉植物が
どうやって世界から消えていったのかわかる?
それはまさに人類があらわれたそのとき、
つまり第二水準から第三水準に
うつり変わるときだった。
理論的にはもっとつよいものが
生きのびることになっている。
たしかに恐竜はいちばんつよかった。
にもかかわらず、全滅してしまった……」

アミの説明には、とても興味がそそられた。

「でも、どうして全滅してしまったの?
いちばんつよかったのに……」

「うん。つめや牙や筋肉はつよかった。
でも、知性のほうがそれよりもすぐれているからね。
人類は肉体的にはずっと弱かったけど、
知性においてずっと勝っていた。
つよいほうが生きのびたんだ。
いま、また同じ過程がくりかえされるよ。
こんどは、筋肉よりも、知性よりも
つよいものが生きのびるよ」

「えっ、それって、なに?」

「精神の力(霊力)さ。愛だよ。
それ以外はみな恐竜とおなじような
運命をたどる。
平和を求める力が一体となったとき、
それはきみたちの世界でもっとも堅固な力となるんだ。
これはたんに、きみたちの文明を
絶滅から防ぎうる力がほかにないからにすぎない。
ビンカ、あまり悲観的にならないで。
愛はからなず勝利を手に入れるよ。
だって愛は宇宙最大の力なんだからね」
 
原因と結果の法則についても何度も説明していますけれど、
地表上で起こる事というのは、
集合意識、地表上の人々の一人一人の意識の集まりの結果です。
その他に、霊的な存在達や地球さんの意識、宇宙の計画などの影響もあります。
 
共同創造をしていますけれども、
その結果が一人、一人に返ってきた時には、
連帯責任ではなくて自己責任です。
 
地表上に起こる現象として経験するのは、
みんなで同じかもしれないけど、
例えば、核戦争が起きて地球が破壊されました。
その時の経験としては、皆一緒に同じ様に、
地球が破壊されたという現実になります。
 
けれども個人として受け止める時には、
それぞれ今まで選択してきて積み重ねてきた原因が、
返るという状態になります。
 
”低い進歩過程にいるひとたち”と、は
試練を”くぐりぬけられない”けれども、
霊的な学びを続けて成長してきた人は、
”くぐりぬけることができる”ということで、
三次元の物質的な領域へ転生する人と、
次の領域に移行する人に分かれます。
 
これは例えば、核戦争が起きたら?という仮定での話ですが、
実際には、地球だけに被害がとどまらないので、
起こせません。
 
なので、核戦争ではない形での試練が現在起こり続けています。
 

下記は、「ライトボディの目覚め」
(大天使アリエル&タシラ・タチーレン著)のライトボディ第七レベルの部分を
抜き出したものです。
 
「私は明日にもアセンションするというだけでなく、
この惑星を癒そうとしている。
私ひとりでも地球を、
そして気の毒なみんなを救い出してあげよう。
私がやらなくては。
全員を光のなかへ引き上げよう。
みんなを自分自身から守り、
カルマから助け出して、闇の勢力から救ってあげるのよ」
といったふうです。

第七レベルにある人は通常はヒーラーや覚醒者、
あるいは自分や人々や地球の救済者として
アイデンティティをもっています。

じつはこれはカルマ的なモナド(単子。
個人的なスピリットをまとめている高次元において
グループソウルのもとになる魂の本質)なのです。

あなたのほとんどの部分が
まだ二元性のなかに存在していることに気づくには、
ちょっと時間がかかるでしょう。

ひょっとするとあなたは、
自分が癒してあげるために地球やだれかを病気にしたり、
自分が救ってあげるために人を迷わせたり、
自分が目覚めさせるために人を眠らせたりしているかも
しれないのです。

それは人が完全に機能しないよう
求めていることになります。

第七レベルでは、すべての存在が
広大で多次元的なマスターであることを
だんだん理解するようになります。

神聖さを探求しているマスターもいれば、
制限を探求しているマスターも
いるでしょうが、
とにかくみんなマスターなのです。

だれもがまさにみずからの望むことを
しているのであって、それでよいのです。

もしもだれかが常に他人の面倒をみたり
守ったりという人生を送っているのであれば、
それは深い啓示を放つことになります。

そしてほかの人たちがみずからのプロセスを歩むのを、
ただ許していけるようになるのです。

ここではほとんどの人々が、おびただしい量の
「スピリチュアルな意義づけ」と
「スピリチュアルな野心」
と呼ばれるものを通り抜けます。

神からの完全な離別という現実の映像は、
肉体の奥深くに恥や罪の意識としてたくわえられています。

人が多次元性にアクセスしはじめたときに
肉体が統合されていないと、この現実の映像を
否定しようとします。

人はしばしばスピリチュアルな形式や
ルールをとり入れたがります。

すべてが「正しい」スピリチュアルなこと、
つまり話すことも身につけるものも
食べ物も「正しく」あろうと努めます。

そして自分の理念に合わないものは、
自分であれ他人であれ、
どんな部分も抑圧するか否定するかしてしまうのです。

精神体は形式やルールが大好きで、
スピリットをしたがわせるための
形式を見つけようと躍起になるのです。

「スピリチュアルな意義づけ」は、
肉体内にたくわえられた恥の意識と
無価値観に対する、精神体の防衛メカニズムです。

「私はスピリチュアルに進化している
(いや、ちがう)。

私は十四万四千人のレインボー・ウォリアーのひとりだ
(いや、ちがう)。

私は今度の土曜日にアセンションする
(いや、ちがう)。

私は天国に行くのだ
(いや、ちがう)」

─「スピリチュアルな意義づけ」
というものには、おのずと排除の性質が
そなわっているのです。

「スピリチュアルな野心」は、
肉体内にたくわえられた罪の意識と無力感に対する、
精神体の防衛メカニズムです。

これにどっぷりつかっている人は、
よく自分のプログラムを押しつけようとして、
躍起になって人をあやつろうとします。

すべてが「最善」で「最高」で「最先端」でないと
いけないのです。

こういう人々は、意見のくい違いがあったり、
何か自分が知らないことを示唆されたりすると、
自分のマスター性が攻撃されたように受けとめます。

そしてぶつぶつ不満を言いつづけ、
他者に非をなすりつけるというのを特質としています。

「僕にはこんなに素晴らしいビジョンがあるんだ。
だから、きみさえこのプランに乗ってくれれば
僕の聖なる目的を実現できるのに。
僕が地上で天国に生きられないのは、きみのせいだ」

とか、

「あなたの映像に欠落があるから、
私の聖なる流れが妨害されてしまうんだわ。
私が貧困にあえいでいるのはあなたのせいよ」

「なんであなたはそんな自分の現実をつくりあげたの?
(どうぞあなたの現実を否定してちょうだい、
そうすれば私は楽になるから。
もしあなたがもっとスピリチュアルに成長していたら、
こんなことは起きなかったはずよ。
だから、あなたは自分で自分に文句を言えばいいわ)」

といった具合です。

「スピリチュアルな意義づけ」

「スピリチュアルな野心」
はエゴの強力な自己防衛です。

あなたが本当に聖なる多次元的マスターで
あることをスピリットが
どんどん現わしていけばいくほど、
それを精神体と感情体は定義と執着によって
個人的な真実として受けとめようとします。

肉体はたいていこれらの発現には無頓着か、
単に受け入れられないかのどちらかです。

すべての人が第七・第八・第九レベルの
どこかしらで、こうした防衛メカニズムに走ります。

多くの人がライトボディ第七レべルで、
スピリチュアルな躁鬱症のパターンにはまり込みます。

あるとき「私は神性なる多次元的存在だ!」
と宣言したか思ったら、
次の瞬間には、「私はなにひとつ、ちゃんとできない!」
と自己の無価値を表明するのです。

こういう人たちは、
多次元的な一体感と、三次元にとどめられている
という分離感とのあいだを、
行ったり来たりしているのです。

ものすごく広大な存在と、
物質によって限界づけられた肉体にいる存在という
パラドックスは、
まさに奇跡的なものです。

この二つの極端さのあいだを行き来する理由は、
このパラドックスを解消しようとするからです。

それは解消できません。

両方の極を同時に保つようにしてください。

両方が完全に存在することを受け入れるのです。

ライトボディの第七レべルの終わりか、
少なくとも第九レベルのどこかで人はこのプロセスが
わかりはじめ、
このパラドックスの中心に生きることが
至福の喜びであることを見出すのです。

あなたは自分のスピリットにしたがいはじめたのです。

あなたがライトボディの第七レベルに入ったとき、
なんとなく「追いついた」という感じがします。

毎日の生活のなかで、あなた自身がスピリットから
機能するようになってきたのです。

自分が生存のための恐怖を出たり入ったりしてるのが
わかるでしょう。

あなたはまるで子供の様に、
何もかも大好きでだれとでも
うまくいく日があると思えば、
別の日には「こりゃ崖っぷちだ」といった恐怖や
生存パターンに襲われます。

二人目の自分がいるような気がすることもあるでしょう。

あなたはこれらのライトボディのプロセスを通して、
二元性をそぎ落しているのです。

あなたは「自分」がはるかに
至福の時を過ごすようになったことに
気づきます。

そしてその状態のまま活動できることがわかるのです。
 
 
統合意識領域に到達する前の段階では、
あなたは私であるということが理解出来ずに、
分離していますので、
助けてあげなきゃとか、
あいつらのせいで自分の足が引っ張られるといった風に、
思ってしまうのです。
 
私とあいつらも同じ創造主の分霊であり、
同じなのだということが理解出来ると、
また別の解釈になっていきます。
 
あなたは今世では三次元物質界を卒業することを、
決めているかもしれないけど、
あいつらはあと50回繰り返すと決めているかもしれません。
皆同じではないのです。
 
 
スピ系の知識が増えてくると、
いつも穏やかで優しくてニコニコして、
正しくて、全ての人を救えるような、
観音菩薩様とかマリア様の様な人にならないといけないのだ、
という様に思い込んでしまうことがあります。
 
実際には、観音菩薩様でもマリア様でも、
自由意志を尊重するので、
本人が望んでもいないのに無理に何かをする、
無理矢理助けるということはしないです。
助けられることが善いといった、善悪判断がないからです。
 
 
自分のことを凄い覚醒者だとか、
悟った人だとか、賢者だと言った次の日には、
自分はいい加減で、どうしようもない奴だと言ったりする人がいます。
行ったり来たりして不安定なのね。
これは善い、これは悪いと決め付けてきたことがあって、
自分の中には悪魔と天使が居て、
いつもどちらかに揺れている様な気がしています。
これが統合していない状態です。
 
そこから、どちらも同時に存在して、
ある片側から見ればそれは悪魔であり、
反対側から見れば天使であるという事が分かると、
同じものをどちら側から眺めるのかということであって、
分離したものではないのだということも分かります。

様々に湧き上って来る思いをそのままにしておけて、

許すことが出来るようになります。
善悪判断せずに二元性を統合するということです。
 
ちなみに、「ライトボディの目覚め」という本は、
昔スピ界隈で流行ったのだけど、
もしこの本を読むのなら、
自分のレベルはどうなのか?
といった判断をする為に利用すると、
罠に嵌ってしまいます。
霊的な段階で、このような変化があるのだなといった、
自分を客観視する為に参考にして下さい。
囚われない様にすることをおススメします。