霊的な学びを進めていくとぶつかる壁、
傲慢さの克服について書いていこうと思います。
生まれ変わりについて5で「ハトホルの書」
(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著)から、
下記の教えをご紹介しました。
もしあるスピリチュアルな共同体に属する二人が
スーパーマーケットに行き、その一人がまわりを見渡して、
「この人たちを見てごらんなさい。
目覚めていない人ばかりだわ。
かれらには私たちが目覚めていることさえわからない。
私たちこそ、選ばれた人間なのだわ」
と思ったとしましょう。
これは他を批判する行為以外の何ものでもなく、
まさに霊的エゴの仕業です。
その人はアセンションの螺旋を
上昇するどころか下降していますから、
とても危ないことです。
さて、同じ共同体の別の一人も、
スーパーマーケットにいるまわりの人たちが
自分よりも目覚めていないことに気づきます。
しかしその人はまったく他を批判しません。
それどころか、まわりの人々に対して
思いやりや理解の気持ちがはたらきます。
その人は自分自身も
以前はかれらと同じだったことや、
大いなる無限の上昇螺旋においては、
拡大しつつある意識も、
先人たちに比すればまだまだごく狭い意識でしかないことを
わかっているのです。
まことその人をはるかに凌ぐ優れた存在たちがおり、
そうした評価自体、相関的なものにすぎません。
受容とやすらかさという点において
あなたが自分の内に何を創造するのか、
それが重要な問題なのです。
”これは他を批判する行為以外の何ものでもなく、
まさに霊的エゴの仕業です。”とあります。
ツイッターでは、内観に必要な5項目を、
ある方のブログ記事からメモして、
何度も読み返していたのをシェアしたことがあります。
内容は下記です。
★自分と向き合う5つのステップ★
①徹底的な反省
自分の至らなさに気付くと、
周囲の人に対して、謙虚な気持ちになれる。
良いも悪いも自分の鏡、自分以外の人は皆教師だと思える。
②あらゆるものに常に感謝
都合の良い時だけ、好きな人だけでなく、
嫌いな人、憎い人などにも感謝をする。
③許し
相手も自分も許す。
相手を許せなくても、そんな自分を許してあげる。
④嫉妬を手放す
嫉妬は比較する事から生じるので、
自分も相手も尊重するという意識に変換する。
人はみなそれぞれに個性があり、誰ひとり同じ人はいない
⑤傲慢を手放す
相手が褒めてくれたり、持ち上げてくれたら、
優越感を持ち良い気分になる。
でも、このまま気付かないと、
自己中心的な思考が視野を狭めていく。
しかも気分が良い状態なので手放し難く、
人の話に耳を貸さなくなる。
スピリチュアルな世界の知識を得ることによって、
ほとんど、必ずといっていいほどやって来る、
乗り越えなければならない段階というものが幾つかあります。
その中でも最大のものが、
スピリチュアル・エゴといったものです。これは、スピリチュアルな知識を得たことにより、
誰か他の人よりも、優越感を持ったり、
自慢したり、自分は他の誰かよりも抜きん出て偉いんだ、
特別なんだ、という傲慢さが表出してきます。
このような段階で観られる傾向としましては、
自分以外の誰かを攻撃したり、批判したり、
自分を特別な存在として正当化させるために、
相手をことごとく蔑み、おとしめます。
これらのことが表出する代表的な例として、
新興宗教の教祖が挙げられます。
おー人よ、汝の智恵に誇ること勿れ。
賢者と話す如く無知なる者と話し合え。
もし、完き智恵の者汝に来りなば、
智恵がすべてなれば、それに聞き、
かつ、心にとどめよ。
解説
高慢な人間は賢者ではなくして愚者である。
それは自慢はその人をうぬぼれ者にし、
すべてのものを自分自身の基準と
ものさしとによって測らせ、
学ぶことを拒否するからである。
注解
”稔るほど頭を垂れる稲穂かな”というのは
霊的なことにもあてはまる。
むしろ、霊的なことにこそ
適切な句である。
リストにでも入れて私を監視しているのかな?
覗いていますという証拠を自分から出しているということなのね。
(でも、私を直接フォローをするのは嫌だと)
物事の全体を把握する為には、一旦枠から外れて自由になることが必要になります。
その際、グループに依存されていた方々は多くのエネルギーを要します。
右や左ばかり(善・悪)を意識して歩いていると、ぶつかってしまう(物理的・感情的)確率が高くなりますが、
道の中心を歩いていけば、右も左も理解しながら最短距離で目標に向かって進んで行くことが出来ます。
どのようなすばらしい情報を発信して行動している組織・グループ・リーダー・仲間であっても根本原理は同じです。
(依存していては存在領域が限られてしまいます。)
これらは、日常のどのような事にも応用出来ます。
枠から外れるということは、道に外れるということではなくて、
日常のごく普通の生活(個の中心)に集中するということを意味しています。
心ある方々は、あえてごく普通の生活を選択して歩んでいます。
ごく普通の生活をしながら、人間とはどういう存在なのかを自ら表現することが、善悪を超越した存在になる指針となり、
これらが全体の中の自立に繋がり進化に貢献していることになります。
ごく普通の生活をしながら意識レベルを向上させるのが、人類の重要な課題の一つです。